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カモ

そのホテルはカモ専用だった。国道沿いかつ高速道路の出入り口付近にあり、見てくれは立地の通りラブホテルにしか見えない。虹色に光る電飾、お城みたいな形状、煤けて黄ばんだ壁、駐車場と思しき場所に垂れ下がるカーテン、窓のない建物の外観。どこからどう見てもラブホテルだが、その実、立地とは裏腹にのどかな近所の田んぼからやってくるカモたちの専用ホテルである。

私もカモだった時期に入ったことがある。人間の使っていた物件の居抜きなので、入り口の自動ドアは少し高くジャンプをしないと反応してくれない。扉が開くと、怪しげな雰囲気の光が瞬くロビーがある。ロビーの右手に目を向けると、大きなモニターに部屋の空き状況が示されている。足元に部屋番号を入力するためのテンキーが置かれており、希望する部屋の番号を入力して確定すると、テンキーの右にある所定の場所に足を置くように音声アナウンスに指示される。指示の通りに右足を置くと、足に紙が巻きつけられる。後にオーナーと話をする機会があった時に聞いたら、部屋番号を認識するICチップが入っている紙だったらしい。そのチップに記録された情報をもとに、該当階まで上がるエレベーターも、部屋のドアもオートで開いてくれるし、ご丁寧に足元が部屋までの道をライトで示してくれる仕掛けまである。随分手間と金がかかったんだとオーナーは誇らしげに話していたが、正直足元のライトをつけるくらいなら、入り口の扉をカモでも反応するように変えて欲しかったものだ。だが、カモならタダ(と言ってもカモしか利用しないのだが)というあまりのサービス精神に、流石にそこまで文句をつけるのは悪い気がして伝えてはいない。

さて、部屋に入るとこれまた人間のいた頃の物件の居抜きそのままに、巨大なベッドが真ん中に鎮座している。カモの上がりやすい段差がベッドサイドに付けられ、ベッドの左半分は人間の布団が敷かれている。前の宿泊者のフンがついているなどということはこれまでに一度もなく、パリッとして気持ちのいい布団だ。一応同じ鳥類の毛を使っていては嫌だろうと、羽毛ではない布団が敷かれている。

以前は風呂場だった水浴び場もそのままだが、浴槽の手前には階段が設置され、浴槽の中にはカモがちょうど浸かりやすい高さに板で底上げが施されている。部屋に入った時点で湯が張られ始め、退出時には自動で湯が抜ける。またシャワーもICチップの入った紙を所定の場所にかざすと自動で流れ始め、離れると止まる。紙も防水加工のものなので、水浴びをしても破れてしまうことはない。

食事に関しては特に何も準備されていないが、周囲が田んぼや畑、水路が豊富にあるので、餌に困ることはない。窓も近づくとカモが出られる程度に小さく開く作りになっており、部屋の場所さえきちんと覚えておけば、部屋から餌を撮りに出入りすることもできる。仮に部屋の場所を忘れてしまっても、ロビーでまた少し高めのジャンプをするだけだ。

ここまでお話ししてきた通り、実に手の行き届いたホテルであり、ベッドの上に限らずロビーや廊下、水浴び場に至るまでフンや羽、ホコリなどは見かけた試しがない。館内の空調もカモが季節感を失わないよう適切な温度が保たれている。オーナー曰く、基本的にここの運営はオーナー1人でやっており、清掃や館内空調の調節、各種備品の補充、破損箇所の補修なども彼1人でやっているらしい。無償でそこまでやっていて、どう生活しているのかを聞いたが、鳥獣保護の補助金がどうたらと言っていた。もごもごしていたので、あまり話したくはないのだろう、それ以上は聞かなかったが、何より彼の善意でこのカモホテルは成り立っていると言っても過言ではない。

だが、カモの中でも知っている者はあまり多くない。元々この辺りを根城にしている者は、このような良質なホテルまである場所と聞きつけ、カモが殺到してしまうことを恐れている。なので、よほどその者たちと親しいカモ以外は知ることがなく、またあまり広めないという暗黙の了解がある。だが、外敵から身を守れるこの環境下で産卵及び子育てを行いたいというカモも少なくなく、実際、長期宿泊によるカモホテル生まれカモホテル育ちのカモがじわじわと増え始めている。オーナーも黙認どころか、子供のいる部屋にだけはたまに少し食事を差し入れている。子どもが増えるということはその分、宿泊者候補が増えるということだ。私がまたカモに戻った頃に、カモホテルに宿泊できないという状況にならないことをいつも祈っている。

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