死は悲しいことなのか
こんにちは。
最近、人の死について身近で話題に上がることがあり、改めて死生観について考えるようになりました。
「命は何よりも大事なものだ、死ぬことは悲しいことだ」
と、多くの人はこのように言い、実際、身近の大切な人がなくなると悲しむわけですが、
自動車免許の講習のときに「年間4000人以上の人が交通事故で無くなっています」とか、ニュースで「人口が減少しました」と聞いても、悲しむ人はおそらく少数派です。
こういうことを書くと、「身近の大切な人を亡くしていないからそういうことを書くんだ!」とお叱りを受けそうですが、
では命の重要性は、それが失われた時の周りの人の悲しみの大きさで決まるのでしょうか?
もしそうなら、ぼっちの僕の命はさぞ軽いことでしょう。
「命は皆、平等」
なんて言葉も聞きますが、もしみんながそう思っているのなら、統計上の死と身近な死を同等のものとしてとらえられないとおかしいわけで、
すると最初の話に戻ってしまいます。
そもそも、死が悲しいことであるならば、
いつか死ぬことを運命づけられてしまう「生まれる」ことも悲しいことでしょうか?
赤ちゃんが生まれてすぐ大泣きするのは、「なんで産んだんだよ~いつか死ななきゃいけないじゃないか」と思っているからですか?
そんなことを考えるうち、僕は死についてこう思うようになりました。
「そもそも、死は(たとえそれがどんなに理不尽なものであっても)悲しいことではない。」
「悲しいことがあるとしたらそれは、自分の意思で過ごすことができなかった生きていたときの時間だ。」
と。
もちろん、理不尽に命が失われてもいい、ということを言いたいわけではありません。
社会が幸福へ向かっていくには、理不尽な死の原因を取り除いていく努力は必要でしょう。
ここで言いたいのは、失われてしまった命に対して我々がすべきことは、
悲しむことではなくて、その人が一瞬一瞬全力で生きた人生を尊敬することなのではないか、ということです。
死を悲しむというのは、残された人の感情を整理するのに必要なことかもしれませんが、
死を悲しいこととしてとらえることは、人の幸福に何も役立たないと思います。
だとすれば、亡くなった人の人生を尊敬し、自分も今生きている時間を悔いのないように自分の意思で生きよう、と前を向くことの方がよほど幸福に生きるのに役に立つと思いませんか。
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