【コスプレ道中膝栗毛】品川道(しながわみち) 2020/08/08
今回(2020/08/08)は品川道を歩いてきました
行程は府中の大國魂神社から狛江〜等々力〜東海道品川までの9里ほど(地図ではかると33~4kmぐらい)
時速4km≒1里とすると9時間でつく計算だな
09:00 大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)
府中駅から南へ、大きな並木通りの先に大國魂神社があるみたい
この並木道も参道か何かかな?
くそでか立派神社だった…
以前通ったときは夜だったので入り口くらいしか雰囲気がわからなかったが、入ってみると社務所もでかく巫女さんもいて賑わいがあった
この後近くの公園で着替えました
毎度不審者ですまねえ…みのがしてくれ…
今日の足回りはごく普通の力王(りきおう)の地下足袋、底が薄めでかなり地面の感触がダイレクトに伝わる 紺色がかなり明るいので脚絆と合わないが…
また昨今のコロナ事情でマスクの代わりに江戸博で買ったガーゼ生地のスカーフを巻きました。暑いぜ
ここから東府中駅まで都道229号線:甲州街道を進みました
09:40 武蔵国府八幡宮(むさしのこくふはちまんぐう)
脇に鳥居が見えたので寄ってみた
参道に踏切がある神社はいいぜ…
踏切の奥は神域感がぐっと高まっていた。綺麗で手入れがされているいい神社
参道の形が上の写真でいうと手前から伸びて奥のところで左に直角に折れ、そこから本堂正面に向かう形になっていた。大きい神社だとこういう曲がった形の道たびたびみるが、小さいところではあまり見たことなかった…結構多いのかな?
すぐのところに八幡宿の標があった
写真奥に見える箒とかで掃除しているのかな、ここらは手入れが行き届いていていいねぇ
09:50 東府中駅
でかい木もポツポツあるのは旧くからある道らしさがある
この東府中駅前の木は、木の周りに交差点が作られている感じだ
東府中駅から京王線沿いに伸びる道が品川道になっている
この形の看板が立っているのでわかりやすい
道沿いにこんな感じの標も点在していた
これ見ると北から新甲州街道・旧甲州街道・品川道と並んでるんだな
10:00 白糸台(しらいとだい)
道なりにいくと西武多摩川線とぶつかるところで道がちょびっと南によけている
西側から線路の方を見ると小道がまっすぐ続いていたので、おそらくもともとまっすぐだったんだろう…実際の道幅はこのくらいということかな?
(写真見返したらちょうど電車通ってて向こうがわからねえ)
この先は品川道が細い脇道に入ったりもしたが、「旧品川みち」の標識もあるのでわかりやすいね
10:30 飛田給駅(とびたきゅうえき)
しばらくは畑交じりの住宅街だが、飛田給駅で急に現代感を取り戻す
そして品川道はこの駅舎の奥の細い道に続いており、風景の現代感は急速に失われ、生活感が取り戻される
航空写真でみると畑多いな
畑交じりの住宅街をずんずん進んでいると、品川道の案内標がまた立ち始めているんですけど、文字がことごとく薄い
平成元年とか書いてあったので、30年モノということかな
このあたりから「いかだ道」という表記も見られるが、そのあたりの所以がかいてあるようだ
10:40 道生神社(みちおいじんじゃ)
飛田給駅から少し進んだところで公園と植生が見えたので行ってみると神社があったので行ってみました
公園では親子連れが遊んでいたのだが、不審な恰好の人間を見たからか心なしか遊び方がぎこちなくなっていた気がした、大変申し訳ねえ・・・
ちょうどおっちゃんが掃き掃除しているところでした、おっちゃんの不審そうな視線を感じつつお参りさせていただきました
公園もあるし掃除する人もいる、生活のある神社は最高だな(お邪魔してすみません)
畑が多いので途中に無人販売も多かったが、ここの販売所は味があってよかった
飛田給駅から調布~国領~狛江まではしばらくはこんな感じの畑沿いや住宅街を歩きました
一時的に大きい「品川通り」と合流したり、また離れたりといった感じ
「旧品川みち」と「品川通り」が合流するところの交差点が「太田塚」という名前だったが、なんか塚があったんだろうな(見てない)
合流した先の「鶴川街道」との交差点はこんな感じ
鶴川街道というのは甲州街道の調布から町田街道の町田までを結ぶ道らしい
11:30 椿地蔵
交差点で信号待ちしていたらお地蔵様がいた、「椿地蔵」というらしい
目の前の交差点の名前も「椿地蔵前」という名前になっていて良い…こういう感じで交差点とかバス停とかの名前になってるの、なんかいいよな
柵でかこまれていたのでお参りはできなかったが、手だけあわせておいた(もしかして鍵かかってなかったかも?)
その先にめちゃいい店構えのお店もあって最高でしたね
これは大工道具とかのお店らしい
ググったら「二見屋忠造商店」という名前だった
江戸時代から鋸とか鎌を売っていたお店のようだ
( http://www.futamiyachuzo.com/f_images/zaasshi.jpgより )
わかる
しばらく道はこんな感じの住宅地でした
途中まで標識は「旧品川みち」だったが、狛江市に入ったところで「品川道」という表記にかわった
柳久保稲荷神社(やなぎくぼいなりじんじゃ)という小さいお社もあった
かなり屈まないとくぐれない位に鳥居が小さくて、しかし参道はめちゃ長かった…地図で見ると40mくらいはあるな?
アス比でいえば2m : 40m = 1 : 20だ(?)
山谷庚申塔(さんやこうしんとう)というのもあった
「庚申塔」というのは庚申(かのえ・さる)の日に庚申様に長寿を願う"庚申講"という行事をやった記念に作ったりする塔らしい。はぇ~
Wikipediaによると、明治の頃に迷信ということで街道沿いのものから壊されて、大通りには残ってないらしい…なるほどねぇ
場所はここなんだが、たしかに大きな道ではないな
庚申塔ね、おぼえとこう
12:15 伊豆美神社(いずみじんじゃ)
急にでかい神社が現れるとわくわくしてしまうね
表の感じはそんなににぎわっている感じではないが、鳥居をくぐるとおみこしも保管されていたり、社務所も大きかったりで、地元の氏神様感がすごくてうれしくなってしまった
お祭りの日なんかはもっときっとすごいんだろうな
摂末社(せつまつしゃ)とおもわれる小さいお社もいくつか入っていた
近くには「和泉小学校」などがあり、字も「中和泉」などと、「和泉」表記になっているようだが、昔はこの「伊豆美」だったんだろうか
途中耳の生えた石などをみながら狛江の市街にはいります
道すがらおくさまに「写真いいですか?」から「年齢は?」「ご職業は?自由業?」とかまで聞かれて焦りました 今考えたらまさか動画…!?
12:35 狛江駅 昼食
出発から3時間半、13km…3里ぐらい歩いて狛江駅周辺の市街地に入りました
ここらでお昼にしとうござります
…といっても、この珍妙な格好でお昼を食べようとするとかなり場所が限られてくるのであった
駅の蕎麦屋とかはわりとスルーしてもらえるが、笠や杖など荷物が多く、立ち食いなどでは邪魔になることがあった
・・・と駅前を物色していていると、「だんごや」の文字を発見!!
神か???????!!!!!!!!!
軒先で、
「どちらまで?」
「今日は品川まで歩く予定で」
「あらこの暑いのに!熱中症にならない?」
などと店員さんやお客さんと会話をしながら、サラダ巻きと大福を買いました
サラダ巻き一本でおなか一杯になったので、大福2個はおやつにとっておきました。道中の保冷は冷えたペットボトルと一緒に信玄袋にいれてやっています
お昼とともに一度足袋や脚絆を脱いでしばらく休憩した
休憩の都度、足袋などを脱げというのは旅行用心集にも書いてあるのじゃ
しかしここまで特に足に異常もなかったが、この後履きなおしてから若干足の平が痛くなりはじめたので、この時の履き方がよくなかったんだろうな…
この後13時頃まで休んでから再出発しました
ここからの道のりは、少しだけ世田谷通りと合流したりした後、都道11号を通ったりしながら東名高速道路まで接近、東名周辺は元の道が残ってないのかな…?かなりグネグネしながら環八通りまで抜けていきます
13:05 狛江駅出発
世田谷通りは普通に大きめの通りで特に苦もなく(「新一の橋」という交差点を見て「バーロー!?」とかは思ったが)進みました
二の橋という交差点から南側の道に分岐するところに大きな木がありました
私有地内かな?でも昔からあるんだろうな
世田谷通りではチャリにのったおじちゃんに声をかけられたり(江戸まで20kmっていう数字がすぐに出てくるのすごくないか!?)、
親子連れが「昔の人だ!」といってわざわざ引き返してきたりしました、世田谷通りあったけえ・・
あとはマニ車的なやつ(念仏車)があったり
しばらくの旧道感を堪能したりしておりました
13:40 知行院(ちぎょういん)
しばらく歩いていると、少年野球をしている広場の奥にでかい鐘つき堂がみえてきたのでちょっと寄ってみる
立派な門構え…あたらしい木だったので建て替えたばっかりかな
調べると天台宗の龍寳山常楽寺知行院というところだそうな
お庭もこぎれいで車も停まっていたりして生活の気配を感じたいいお寺だった
お邪魔してもいけないのでわずかな浄財を託して次へ
その先は多摩堤通りに合流して野川を渡り、いよいよ謎の東名高速付近へ…
橋の向こうに見える高架がそれである
下をくぐると神殿のような風景 現代だぜ…!!
14:10 砧公園(きぬたこうえん)東名高速 周辺
その辺の歩いてみた記録などを見てもこの辺りはよくわからんが、とりあえずそれっぽい道を歩いた感じだ
迷いながら坂を上ったところでお地蔵様を見つけて「これは多分古い道に違いねえ・・・」と少し安心しました
しかしここはまじで世田谷区なのか・・?
この辺の坂に「座頭ころがし坂」と名のあるものがあるらしい…通った坂なのかは正直わからんが、この記事によるとどうやらさっきの写真の地蔵までの上り坂がそうらしい
記事にある植物に覆われたカフェも坂の途中にあったのでおそらくそうだろう…
しかし東名高速をくぐった後すぐに上から渡ることになるとは
橋の名前が「グランド橋」だったが、まさか「陸橋」をかっこよく言ったんじゃないだろうな?とかは思ったが、まあグランドが近いからだろうな
そういえば高速を車で走っていると上にかかっている橋に変な名前ついてんな~って思うことが結構あって「後で調べよ~~~」とか思ったりもするが、車を停めるころにはだいたいそういうことは忘れているのだった
また今度調べよ~~~~~
その後はでっかい木があるのを見て「ここは古い道に違いない」と思いながら坂を下りましたが、暑さがピークで大変だわよ
あと足もこれ擦れてきたなっていう痛みが増してきました、疲れはあまりなく暑さと痛さでしんど区間
14:40 環八通り
街よ!!!!
斜面の住宅街を暑さの中下り、大通りにでてきました
ここからの道はしばらくこの環八通りを南下したあと多摩美のあたりで脇に入り、東急大井町線沿いに等々力、また環八通りに合流してから石川台まで東に突っ切り、中原街道を洗足池まで行きます
瀬田の交差点にあった美形の歩道橋は足も痛かったので使いませんでしたが、きっと眺めもいいんだろうなぁ(イケメンは内面もイケメン説)
地図で見るとこの階段の円弧がイカしてるな?
多摩美(結局どれかわからなかった)のところを入ると、旧道感のあるゆるふわな道幅になりました
思えば環八まではずっと住宅地で、ここから商業地の率が高くなった気がするな?
15:10 等々力通り 写真家の方と
多摩美の脇から等々力通りに入ってしばらくのところで公園を見つけ、等々力駅でおやつにしよう」などと考えながら小休憩したあたりで、カメラの会社で働いていて写真も撮ったりするという方から声をかけていただいた!
「後ろ姿撮ってもいいですか?」
「あもう全然いいですよ」
「この後自由が丘とかそっち方面に行く感じですか?僕もそっちまで歩こうと思ってたのでよかったらそこまでご一緒しても・・?」
「お~~!いいですね、全然大丈夫です!(自由が丘の方角に歩いてはいたがこれから通る行程なのかわかってない)」
みたいな会話をして一緒に等々力方面に向かいました
座って少し話をしたりみたいなのはこれまでも何度かあったが、一緒に歩くのは初めてでしたね…
しばらく写真の話をしたり、サンタさんが古銭をくれたとか、うちのおじいさんとかおばあさんが昔…みたいな話をお伺いしながら、通りの脇にあるでかい木を見ながら歩きました
わたしのスマホで撮ってもらっちゃったりしました 一人で歩いていると自分の姿が確認できないからありがたい…が歩き続けてて恰好がよろしく無くなってる気がするな?
その後等々力駅前まで至り、行先が南北(私…環八:南、先方…自由が丘?:北)に別れることになることが分かったのでそこでお別れとなりました
道中撮っていただいた写真についてインスタとかに上げてもいいかと聞かれ、「適当にアップしてもらってもダイジュブですので!」と言ったので多分上げていただいていたりするのではと思います、アカウントとかは聞いておりませんのでどなたか見かけたら私にも教えてくださいね・・・☆
15:30 等々力駅(とどろきえき)
等々力駅前にもでかい木がいくつも残っていた
おやつの予定でしたが、往来がにぎやかで奇特な恰好では落ち着いて休憩できそうになかったのでしばらく進むことに
等々力から高架をどうにか抜けたり、多少の道間違いをしながら玉川浄水場までぐねぐね行きました
地図をみてわかるように東西にスカーンと抜けた通りが多く、この長い距離ずっと歩くんか!?という感情が湧いたりした
(なお上のtweetの写真の道(尾山台小学校前)はすぐに曲がってしまう関係ない道だった)
16:00 玉川浄水場 大福休憩
日も傾きだして暑さが和らいできたが、足の裏の皮の痛みがかなり強くなってきたので、この辺りで休憩せねばと思い、浄水場の公園をめざした
公園に行ったはいいが、高台にあるからかやや閉鎖的で、家族連れもたくさんで親御さんの訝し目線でおちおち休んでられなさそうな状況だったのでそそくさと下り、環八通り沿いに腰掛けて休憩とした
そりゃこんな不審者を視界に入れたらそうなるわ
ふふふ…しかしこっちには狛江駅の団子屋で買った大福があるのさ!!!!
体力は道中のスポーツドリンクやらでそこまで落ちてはいないが、暑さと足の皮の痛さで気力が削がれていたところだったが、大福で回復(激ウマギャグ)した
ここまで24km、6里ほどなのでちょうど三分の二といったところか
7時間弱…過去の感じからして歩いてここからまた気力維持が大変になる頃合いだな
そういえば玉川浄水場って玉川上水とはあまり関係ないのかな・・・?
16:25 大福休憩おわり
玉川浄水場からはしばらく環八通り、その後北にそれる道を通って石川台まで抜け、そこから洗足池まで行く道になる
北にそれる道(名前あるのかな?)は遠巻きに見てもまっすぐな感じ、旧道感のする道幅ではあった
斜陽と校舎(東玉川小学校)と電話ボックスでいい感じなので撮ったが、でかい木もあるな!古い道にちげえねえ!
今のところでかい木を「でかい木」としか認識していないが、木の種類とか樹齢とかが分かるようになりたいね…
石川台の交差点で中原街道に合流するところに柳の木が見え(柳の木はわかる)、すぐ手前に橋があった
柳のある橋って都会でしか見たことないが、こういう柳って最初に橋があって後から植えたのかな、それとも柳のところを目印に橋を架けたのかな…?
脇のチャリ置き場用の道はなかなかイカしていたので見てくれ
柳の木の脇に「石橋供養塔(1774,安永3)」というのがあったが、元はこの車道の橋は石橋だったんだろうかね
17:15 洗足池(せんぞくいけ)
中原街道の緩いカーブの先にありました、やっとだぜ・・・!!!
おっちゃんを勝手に入れた構図 おっちゃんいいねぇ・・・
洗足坂の読み、「みたらしざか」って感じするの多分私だけじゃないはず
池で癒されているときにお兄さんから声かけられて少しお話したりしました、さわやかなお兄さんで最高になりました
写真には入れていませんが観光客でにぎわっていてなかなか風情もあった、あと涼しくなってきたのも超よかった みんなマスク姿だったけど…
洗足池からはすぐ中原街道とお別れして、荏原(えばら)~大井町までずんずん東進する感じになるぞい
田舎に向かう行程だとこれが進むにつれ寂れる一方で悲しみしかないのがつらいが、今回は都会に向かうようにしたので、商店街も多くなったりで夕方も活気がある感じで精神的にはGOODな感じだ…次回以降もできればそうしよう
この辺りの坂は洗足坂(せんぞくざか)というらしい 当時よりだいぶゆるやかだとか
17:30 長原商店街
ガツンと貫いている商店街が中原街道から伸びていた、遠巻きにみても人通りがあってにぎやかな感じだ…お店もたくさん開いていて、青果店の他にもお豆腐屋さんが多い印象だった めちゃ良しイエス…
環七通りを挟んでその先もまっすぐ続いていて、その間の往来も結構にぎやかだった
商店街をしばらく進むと、品川道の案内に添えて「品川区」の文字が!!
どうやら長原商店街は途中から半分品川区になっているらしい
この辺りから日が暮れて薄暗くなってきたので、今日も小田原提灯の出番じゃ!
そして暗くなるとピンボケがいよいよひどくなるのであった
次の写真の標は中原街道と品川道の分かれ道にあるという銘道標というやつらしい
読むならググってでてきたこっちがいいだろう
途中「伊藤博文公墓所」というのもあったが、「公」ってどのくらい前の人だと付くんだろうな?
Wikipediaによると「日本史上の、とりわけ郷土の偉人に対する敬称としての用法[1]。」とかあるな 日本史に載るぐらいの地元の偉人になると付くんかな?
商店街を抜けてしばらくのあたりで、足の皮の痛みがだいぶ増していたので西大井町広場公園で腰を下ろして、足袋を履きなおしたりした
水ぶくれができていたのを確認した…おやつの時に一回脱いでリセットしなかったのはミスだな…
写真撮ってなかったからストリートビューだけど、この「ラジオ体操会場」の看板あったわ…
そしてここ「光学通り」という名前なのか、マジンガーZとかに出てきそうだな
足の痛みと疲労がたまってきたところだったが、この区間癒えイベントが急にもたらされて最高だった
あとtweetしてないけど西大井駅の南にある線路をくぐるあたりで4人くらいのおばちゃん集団に声かけられて
「やだどこいくの・・?おまつり・・・?」
「あ、歩いてるだけッス」
「アハハあそう!かっこいいわね~~!(笑)」
「アッス!ザッス!」
ってのもあったり、
あとは…おじさんとワンちゃんが散歩していて、ワンちゃんが私の方に嗅ぎに寄ってきて
「お~どうした~~!」
とかやってたりおじさんと話したりしてたんですが、私が急に立ち上がってびっくりしちゃったのか急に吠え出して、
おじさん「あ~すみません・・・、(犬に)あやしい人じゃないよ~~」
私「いやこれ怪しいから吠えて正解ですよ!(犬に)ごめんね~~!!!」
とかいうのがありました
18:40 大井三ツ又商店街
大井町三叉路のあたりからだいぶ繁華街じみてきて飲み屋も多くなったあたりで、対照的に落ち着いて見えた商店街に入る・・・前に入口の地蔵さまに挨拶しました(写真左)
身代地蔵っていうのか
ここからの道は青物横丁まで421号沿いに進み(途中線路の渡り方を間違えているが)、青物横丁から東海道を北進するのみ…ラストスパートじゃい!!!!!
んでもって行きたかった道からそれて大井町のバリバリに駅前を通りましたとさ
ゼームス坂上周辺で飲み屋の店員に「お兄さんどうっすか」とか声かけられたけど肝座ってんなあんちゃん…
しかし人通りめちゃ多くて夜の街…というのを感じた…まぁ健康に留意してよしなにやってくれ
大分日も暮れて暗くなってきて夜景的にいい感じになってきました
これは青物横丁駅手前の第一京浜との交差点の歩道橋から
赤と青の信号で通りが色分けされていてなかなかいい感じ
19:15 東海道南品川
そして出発から10時間、いよいよ旧東海道の品川宿南端にたどりついた…
一応今回のゴールは北品川の品川宿の標にしているので、ここからもう少しだけ歩かないといけないが、ようやくラストストレートだ 長かった…
品川宿の南端は「青物横丁」というのがあるらしい
今回は素通りでしたけども
そして品川宿にはいると急に雰囲気が変わる やるやん品川宿場通りの会
畳屋さんの灯りがまだついていた
点々と街道松というのが植えてあり、ちょっとした公園というか広場もあって観光地感がある
品川宿中ほどには目黒川があり、そこから北は北品川になるという
本陣跡は広場と標だけがあり、横には百均とお肉(臓物?)屋さんが並んでいて栄枯が盛衰しているのを感じるわね…
19:40 品川宿石碑(ゴール)
品川宿長え…!足が痛くてゆっくり歩いてはいたが、よもやお目当ての石碑まで30分もかかるとは思わなんだ
9時に府中駅を出発してから10時間半かかりました 全体から休憩時間を抜いたらちょうど当初の計算通りぐらいかな?
いつもよりも道中にぎやかなゾーンが多くて最後までチョコたっぷりって感じでよかったです さすがお江戸や
ーーー
その後は野良?猫にニャオニャオ鳴かれながら着替えたりしました
本当はこのまま銭湯か温泉にでも入りたいところでしたが、このご時世なのでおうちのお風呂で我慢です
足の皮が一部水ぶくれになってしまったが、特に関節などを痛めることもなく無事歩ききれたのでよし
道中優しくしていただいた方に感謝して締めたいと思います
つぎはどこにしよかな・・・
(この後JR品川駅までが思いのほか遠く一番心身に来たのだった)
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