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秋暁 | 月日を捉え直す

秋暁 | 秋
秋の夜明け。
長い長い夏とあいまいに入れ替わって
朝の時間ははっきりと、秋になった。


近頃、部屋に差し込む朝陽の色が変わった。
ついこの間まで生成り色の壁紙が柔らかく明るくなる程度だったその光が
はっきりとオレンジ色に壁紙を照らすようになった。
上の子が初めにそのことに気がつき、寝起きそのまま徐にクレヨンを手に取り、カーテンにもぐって窓いっぱいに大きく真っ赤な太陽を描いた。
その衝動的な行動と、あまりに大胆な描き方に惚れ惚れした。いいな〜そんな風に朝一番に絵を描いてみたい!
(と同時に窓に描いても消せるクレヨン、「kitpass」で良かった、、と思った。)



最近こどもたちに、自分がこどもだった頃の話をする機会が増えた。
自分が大学生、高校生だった頃のことなんてついこの間くらいの感覚で覚えているもので、自分では「昔話」のつもりで話してはいないのだけど
そういえば私がこどもの頃、母がこどもだった頃の話を母から聞いていたときには、「そんなに昔のこと、あんまり覚えてないだろうけどさぁ、教えてよ」というスタンスで聞いていたことを思い出す。
10年、20年なんて月日はとんでもなく長くて、忘れちゃうでしょう?と。

でも実際には、14、5歳から今までの記憶もちゃんと連れてきて、そしてその15年はそこそこ駆け足で過ぎて行ってしまっている!

母が私を30歳前後で産んで、私がこどもたちを30歳前後で産んで
こどもたちが30歳になる頃には、母が生まれた年から数えると100年近い月日が流れる。
「Always 三丁目の夕日」とか、戦後を描く作品を「ずっとずっと昔の話」と捉えて観ていたけれど、時間感覚を修正しなくちゃいけないなと痛感した。
母が生まれてから私のこどもたちが30歳を迎えるまでの時間分を遡るだけで
「戦争」でたくさんの命が失われた頃にたどり着くのか。
急に時間感覚が変わって、(たった)80年くらい前の様々な胸の痛む事実が一層身に差し迫ってきた。
100年だって、長いようで、全然長くないじゃないか。

そろそろ上の子は、国と国のいがみ合いもわかってくるようになるだろう。
私も小学生になってからは
北朝鮮からミサイルが飛んでくる、とか
ビルに飛行機が突っ込んだ、とか
そういうニュースを見聞きすると、「自分の身にも怖いことが起こるの?」と不安になって両親に聞いた。
怖くて寝付けなくなったり、軍用機の音が自分の部屋のすぐ近くから聞こえる夢にうなされたりしたのを覚えている。

同じようにこどもたちからそんなことを聞かれたら、私はなんと答えるだろうか。
恥ずかしながら随分大人になってから、様々な国の間で起きていることは、わかりやすく報道されていることがすべてではない、ということを思うようになった。
どの立場から見るかによって、見え方が全然違う。
そりゃそうだ家族の間でケンカしたってそれぞれにいろんな背景と事情があるくらいだ。どっちの方がどう悪いとも言えないことの方が多い。
あからさまな「戦争」という形でなくとも、じわりじわりと蝕んでいくような争いも今だってそこら中に存在していると思っている。

だからこどもたちには、まずは目につきやすいものだけを拾うのではなくて、自分の感性に引っかかる情報を見つける努力をすること、
それから自分の手の届く範囲の、いつも自分を気にかけてくれる人たちを大切にするようにということをしつこく伝えるだろうと思う。
どんな日常の中にいてもそういう人たちの存在は光だ。
これから10年、20年、そういう優しい人たちに守られながら、こどもたちも「30年あっという間だな」なんて言いつつやりたいことをやりたいようにやって生きていてほしい。


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