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われら、布が好き

文・写真●小野田光

【初出:「ほんのひとさじ」vol.10(書肆侃侃房、2018)「布」】

 カラオケランキングというものがあって、ここ数年、中島みゆきの「糸」が常に上位にランクインし続けているそうだ。あの歌、糸を縦横で織ると暖めたり傷をかばったりできるかもしれないって、最終的には布のことが描かれている。糸のままよりも、布になるところが人気の秘密か。

 人類は本当に布が好き。カラオケでくりかえし歌うくらい好き。ほとんどの時間を布に触れながら過ごしている。主に着る。一方で、人類以外で布を活用している者らはいない。世の動物たちは布になんの価値も見出していないように見える。紙ですら山羊たちに重宝されているというのに。

 人類は布が大好きだから、なんとか動物たちにその良さをわかってもらおうとしてしまう。犬に着せたりする。犬には暑すぎるのではないか。どうなのか。21世紀では減ってきたようだが、電話やティッシュペーパー、便座といった無機物に着せる人もいた。人類における布愛。この愛の根源には、多くの動物たちのように豊かな体毛に覆われていないという人体の特徴があるのだろう。体毛代わりの布を編み出し、それを身に纏うことでツンドラ気候でも生き延びる強さを手に入れた。

 しかし先日、Instagramを眺めていた私は、わが国にも布を必要としない裸族がいることを認識した。力士だ。彼らが土俵上でほぼ全裸に近い状態であることは国際的にも有名だが、実は私生活でもそんな感じだったりする。若手力士たちがSNSに投稿する私生活画像を見ると、彼らは土俵外でも半裸で過ごしていることがわかる。上半身裸で胡坐をかき、おやつに唐揚げを食べたりしている。なるほど。幼少期の疑問が晴れてくる。

 若瀬川という力士がいた。小学生の私は、彼の背中が勝負の前から土俵の砂で汚れていることを不思議に思っていた。しかしある日、それは砂ではなく毛であることに気づいた。それから私は力士たちの体毛を注意して見るようになり、異様に毛深い者が多いことを知った。有名なところでは、横綱にまで昇り詰めた武蔵丸、現役だと大関の高安はミンクのような体毛の持ち主だ。裸で過ごしていると、自然と濃い毛が生える。半裸で過ごしてもへっちゃら。なんと動物的な。

 そんな力士たちもまわしという布を巻くではないか。関取ともなると、光沢のある絹をさまざまな色に染めて誇示している。裸体にまわし。21世紀になってもこのヘンテコな姿は、美しい。布は温めたり傷をかばったりするためだけにあるのではないのだ。人類はいつだって少しヘンテコなことをしてしまう。それが美だ。過剰な布愛から、そういう思いが浮き上がってくるではないか。


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