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死は勝利する。

昨年、関係者の死によって寒空に放逐され、年を越した気がしない。
心ある組織に拾われ、その隙間を雑用で埋めさせてもらえるようにはなったが、そこには放逐されたせいで逃げてきた、自分以外の死にかけた人間の死が満ち満ちていた。
死から追われた先に死が待ち受けていたという具合だ。
俺自身が死にたくないという訳ではない。
誰でもいつ死んでおかしくないし、必ず死ぬ定めにある生命体は、どんな理由や原因でも頓死する。
そうした見切った自身の死生観とは別に、死を待つ他者の集積に逃げた果ての隘路には、死が待ち受けていた。
地球が滅亡すればなんということもないのだろうが、あっけない、取るに足らない理由で老いたものはどんどん死んでいく。
それは必定だが、間近に日常として見らせられる刑罰はない。
俺は恐らく初めて小説を読んで号泣した「素粒子」を読んで以来、ウエルベックの愛読者だが、故に「地図と領土」によって表明された作者のアバターとしての主人公のポジションを支持していたので、ゴダールの身の処し方については批判的なイメージを持って見ていた。
だが「慣れる」と言われつつ一向に慣れずダメージを受け続ける死の遍在する場に追いやられ、その死ぬ前に喪失した主体性と、己の尊厳も認識できない憐れな有様に、実はゴダールの処断は正しかったのではないかと認識を改める羽目になった。
結局俺の中でも死は勝ってしまった。
それは俺が今すぐ自殺するとか言うことではないが、冷静かつ賢明に判断の冴える主体性のあるうちに、自身の処断を決められることこそ、当人の尊厳が尊重されることであり、生きている証なのだと考えを改めた。
そこを手放して曖昧な自分をむざむざ生かすのは、単なる恥の上塗りで、醜い忌むべきものである。
死は己が弄べるものであるうちに行使する事こそ、生まれることを選べない人間の、人間ならではのささやかな反逆なのだった。

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