病者への狭き門という仕打ち。

#国立がんセンター への付き添い。
付き添うだけなら寝てりゃいいんだが、とにかく #抗がん剤 点滴までの道のりが長い。
点滴開始時間が遅くなるということは、会計窓口や建物の正面入り口が閉まってしまう恐れがあるのだ。
ギリギリならば付き添いが最後の点滴にかかったのを見届けて、急いで会計やら清算やら薬の受け取りを済ませないとならない。
間に合わず、そうしたものは後日になり裏門から出るのもままある。
先日は朝09:30出て、帰宅はほぼ21:00であり、これまでの付き添い時間を更新した。
理由は今月連休(俺にはそんなもの関係ないが)が立て込んでいたことにあるらしい。
施設が休みになることでその日受診するはずの患者が世界中から立て込むのだ。
他人事ながら、普通に闘病ってのはしんどいとは思う。
だがよりによって死病に憑かれた人間を待たせに待たせて、それだけで消耗させるのはどうか。
俺自身の消耗なんて大したことではない。
病者に付き添いをねぎらわれても嬉しくない。寧ろそれだけ消耗し他者をねぎらう余裕が痛々しい。
そういう病者に負担を強いる構造への疑問に頭を占められていた。
そしてそうやって群がる患者の群れに、#生への執着 より#死への恐怖 によって、#蜘蛛の糸 に群がる亡者を準えてしまった。
しかも #地獄の罪人 と違い、望んでそうなってるのではないからね。施設の都合で強いられている訳で。
俺の見立ては全然不謹慎なんかではないと思うよ。制度や施設の運用が不謹慎なのだ。 #今つらいあなたへ


いいなと思ったら応援しよう!