毎日眠れなくて仕事に行けず、外に出るのが怖いんだ。
「#ジョーカー」だけを普通に見ても分かること。
コミックである #バットマン 最大のヴィラン、「ザ・ジョーカー」は元々、コミックの主人公、#バットマン をライバル視している超知能犯である(常にバットマンの一手二手先を行く犯行で、多数の巻き添えを起こしながらも対決を楽しんでおり。決着を望んでいない)。
映画「#ジョーカー」の #アーサー は衝動的な殺人しか行っていない(脳に障害はあるが狂気に陥っていない感情的な犯行)。
コミックの#ジョーカー が行う殺人は計画に必要なら、自分の感情的には不要でも躊躇なく実行する(殺す相手を選ばない/無差別殺人と混沌が彼の理想)。
映画「#ジョーカー 」を崇拝している人間がいるのはコミックの外側だけ(コミックファンはその鵺的な読めなさと狂気を丸ごと受容している)。
映画「#ジョーカー 」を絶賛する(そんなに深いコミックファンではない)ファンが出た一方で、公開時から #ブルース 少年との年齢の開きを問題視している深いコミックファンが一定数映画のディテールを指弾した。
コミックでよく使役している #小人症 の手下に近い存在である ピエロ・エージェンシーの仲間、ゲイリー( #小人症 )に優しい。
映画で #ウェイン夫妻 (#トーマス #マーサ ) の強盗殺人も、電車内で暴動に巻き込まれ事故的に死んだ刑事二名も、犯行は全て匿名性を帯びた仮面の持ち主によるものだ(アーサーではないがジョーカーでもない)。
本来 #アーサー は生放送でネタが滑るのを当てつけに自殺しようとしていたのに、司会者 #マーレイ への衝動的な生放送殺人で暴動が激化し、元来穏やかな性格が自分の行動から世論が盛り上がり、舞い上がっただけで、#ジョーカー として傲慢になったわけではない(ここも計画性がなく、単に状況に応じて調子こいている)。
続編について
この一連の行動で崇拝された自分を、分不相応ながら、一旦は名乗った #ジョーカー と同化しようと努力しているが、狂気は努力の産物ではない。維持しようと努めている時点で、アーサーは #ジョーカー ワナビーの礎であり、完全な狂人であるザ・ジョーカーではない(ただ、 #アーサー のお蔭で、前歴も行動原理も不明な狂人犯罪者「#ザジョーカー」が出現でき、警察もバットマンも先回れなくなるようになった)。
「#フォリアドゥ」のお蔭で「#ザバットマン(2022)」と足並みが揃った(今回の功績)。