映画も酒も逃げ込むもの。
急性アルコール中毒で搬送されたことがあり、過剰飲酒から過敏性腸症候群(IBS)を慢性的に起こし、間欠的に現れる便意とに苦しみながらも飲み続け、結果二年連続で痔の入院手術を受けた過去のある俺の発言としては、意外かも知れないが、俺はそもそも酒を美味いと思って飲んでいない。
明澄で裸にされているような感覚のひりつきから逃れ、意識を麻痺させたいから飲んでいるというだけの話(昔はよくやっていたが、今は飲んでいる時は書かない)なのだ。
要するに、ただ酩酊したくて飲んでいる(昔は逆算して終了一時間前を合図に劇場でも飲んでいた。経験上、飲んで一時間以上経過しないと尿意を感じないからで、中座しなくて済む)。
しかも、いきなり一口目から美味い酒などというものは、この方飲んだ経験がない。
度数が低ければ、そりゃアルコールの不味さを飲み下しやすくなり、一般に飲みやすい酒ということになるのだろうが、それだけ酩酊が先伸ばしになり、量だってそこに至るまで飲まなければならず、そっちの方が酒として不味い(燃費が悪い)とも言える。
そもそも肝臓が小さく処理能力が低く、それでいて酒好きを気取っている、女に媚びたアルコール商品の蔓延には全く興味がない。
そんなものを飲むくらいなら、炭酸飲料でも飲んでいる方がまだましだ(実は、恐らく酒に起因する胃弱から、炭酸飲料も苦手だ)。
何でそんな話を延々書いているのかというと、前情報を入れずにぶらりと入った劇場で、恐るべき傑作と遭遇することがある。
どこかからの流れでネタを漏れ聞いてしまってから見るものでも、オチを知っているにも関わらず、それが作品の傷に全くなっていない作品との遭遇もある。
だが、いきなりただならぬ雰囲気を発している作品はあっても、それは面白いということではなく、ある程度その特殊な雰囲気に自分から染まる努力をすることによって面白くなってくる作品もあり、要するに映画も酩酊してきてからが面白さの分かれ目となると考えている。
だから酒と同じく嫌いではないが、別に映画も取り立てて好きでもないということだ。
それだけ他者とのつながりがなく、孤独に暗闇に身を潜める暇を持て余している。
だから誰にも聞けない人生の行き詰まりのヒントがどこかに隠れていないか、疚しい気持ちで二時間ばかり俗世を離れる。
この作品ならどこかに答えが隠れているんじゃないか?との下心で闇に逃げてくる。
もちろん最後まで全く盛り上がらないモヤモヤした作品も少なくない。
後から折々にずっと考え続ける。
そういうタイプの作品として、今年の #ジョーカーフォリアドゥ は今のところ2024年のベストだろう。