受心者のこどもは受心者?
カエルのこはカエル、的な。
そのころ、わたしは、わけもわからなく、毎日毎晩、自分の人生を振り返ることに囚われていた。
なぜいまこんな時期に、自分の今までの人生について後悔したり、もっといろいろなことをやりたかった…と考えあぐねるのかさっぱりわからなかった。
とにかく、無意識にとりつかれたように気がつくとそういうことばかり考えてしまっていた。
こんな妄想は、まるで自分が末期の癌患者にでもなったような気持ちだった。
さしせまるどうしようもない死への恐れ、そして、今までの人生の後悔、やり残し、おいていかなければならない子どもたちへの心配…それらが日常の、特に夜になるとわたしの気持ちの大半を占めた。
受心していつも思うのが、あとになってちゃんとその答え合わせがくるまでは、その考えが自分の考えだと思うことだった。わたしが気に病み、わたしが深く物事を感じている。
それが、からだの異変と合わさって、ある日、ストンと幕を降ろしたかのように終わりを迎える日が来て、そして、合点がいく事実を知って、あらためて、
わたしは『受心』していたんだ…
と思うのだ。
いや。ひょとしたら、自分の中の耐え難い感受性のするどさをもて余して理由付けしたいだけかも、とも思うけれども。
どうにもならないくらい、死を宣告されたような考えにさいなまれ続けていたある夜、わたしは、当時、小学生だった息子とベッドで寝ていた。
夫は出張だったのか、ちょっと忘れたけれど、とにかく寝室に二人で寝ていた。
ベッドは窓に沿うようにあった。
真夜中の、うとうと…としたとき、その『こころ』は、やってきた。受心したのだ。
"もう、あきらめよう"
こころは言っていた。
"じゅうぶん、わたしは、じゅうぶん、じぶんの人生を生きた。子どもたちも、まずまず成長してくれた。悔いはない…… "
この数日、生きたい、と、悔いが残る、と、あれだけもがいていた心は穏やかに終わりを覚悟し始めた。
ふと。
誰かにじーっと見られている気がしてわたしは目を開けた。
すると、わたしの横で寝ていた子どもが、じっとわたしを見ている。
まばたきもせずに、眼球も動かさずに。
それよりもなによりも、ゾッとしたのが、こどもの仕草だった。
よく、「うらめしや」と、お化けが手の甲を前に並べて垂らすが(ぅーん、うまく表現できない、"うらめしや"で検索してみて)、そのスタイルで、わたしを布団のなかでみつめていたのだ。
こどもの名前を呼んで起こそうとするが、いっこうに起きてくれない。いや、目は開いているので、意識がもどらない、ってことかな?
気持ちが悪いので、顔の前でそろえている手を布団のなかにいれてやると、それは抵抗なくこちらの動きに合わせてくれる。
いくら起こしても意識がもどらないので、寝ぼけみたいなのだと思って、まぶたを手で無理やり閉じてみた。左手で息子の手を布団のなかで抑え、おろしたまぶたを右手で覆った。
その状態で一応見た目には"眠っている"感じにもどった。
が、ほっとするのもつかのまのことで、こちらが油断すると、というか、うとうとすると、また、パキっと目を開け手をスーと前に揃えてつきだしてくる。
ほとほと困った。
我が子であっても、目を見開いてこちらを凝視してうらめしやスタイルは、やっぱり夜中ではキツイ。怖い。
何度か繰り返したけれども、なんどもそのスタイルになるのだった。
ふと、わたしは、ここ最近のじぶんの不可思議な考え方、感じかたを思い『受心』に間違いないと確信した。
そして、「だいじょうぶよ」と、優しくこどもを抱きしめた。わたしには、それくらいのことしかできなかった。すると、こどもは、ゆっくりと硬直した身体を解いて目を閉じ普通に眠りについた。わたしもほっとして眠ることができたのだった。
次の日、学年の連絡網がきた。A君のママが亡くなったのでお葬式の日時の連絡だった。
10日ほど前に仕事先で脳溢血で倒れて入院していたことを、いちぶの親しい人にしか知らせてなかったようだが、昨夜亡くなったのだという。
A君の家は我が家からわりとそばで、わたしたちの寝室の窓から屋根がちらりと見えるほどの近さだった。ただ、フルタイムに会社勤めのママだったので、ほとんど面識はなかった。
わたしがそのときに受け取った心が彼女のものだったなんて、失礼すぎて言えない。でも、あのときの、心の葛藤、子どもへの思い、後悔、やりたいことをやり残して逝かなければならない悔しさ。そして、最後のあきらめと同時に死を受け入れた安堵を感じたことを強く心に刻んでいる。
そして、あの夜の息子の行動をみてしまったことで、「この子も苦労しそうだな、」と思ったのだった。
↓受心 episode4