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不幸のタネを心にもたない。難しいけれどそれしかない
ほんとうに久しぶりの感覚だった
何度も何度も経験しているのに毎回囚われて、そして囚われていたことにあとで気づく
jisatuのあるような場所は絶対に避けていたし、地下鉄や電車は極力緊張するようにしてとりこまれないように努力している
なのにまさか、そんな場所で、と、あとから思うとビックリしている
人は普通は悩みを深くして心が苦しむようになると思っているだろうが、実際は逆も存在している
苦しさがまずあってから、この苦しさはなんだろう?あ?あのことかな?と当てはめてしまうことがある
そして稀に、落ちている『感情』を拾って、その負の感情に見合う自分の悩みを、まだ悩みのタネの部分を当てはめて、あたかも拾った『苦しい』という感情が自分のものだと錯覚してしまうことがある
つまり、
自分の悩みのタネが現実の問題に発展して苦しむのではなく、その場所に落とすほど留まるほど苦しんだ感情を拾ってしまって自分の悩みはそれほどひどいものだと勘違いしてしまうのだ
わたしはそれを『受心』と思っている
jisatuの多い場所は負の感情の溜まり場ではないか、とも思っている
なんのことはない、駅前の、衣料品も扱っているようなスーパーでのことだった
何割引かにもなっているというポップが目に入り立ち止まった。銀行の帰り道にふらりと寄ったときのこと
着古したTシャツをパジャマにおろすため、短めの綿パンをここで安く買ってもいいかな、そんな程度のチラ見のはずだった
選んでいる最中に、ふと、最近の悩みのタネを思い出す
それは、家族間のちょっとした違和感だった
気にしなければこのままなにも変わらず幸せだし、気にして行動を起こせば、それこそ気まずい関係になる
見ないふりは大切でお説教で育てるにはもう相手も成人したいい大人だ
ただそれだけの悩みのタネなはずだった
ところが、短パンを選んでいるだけなのに、ズブズブと黒い感情がわたしを取りかこみ悩みが深くなっていく
そして次第にどうしようもない怒りが心に沸き起こる
いなくなってしまえばいい!
という感情と
わたしがいなくなってやる!
という感情が良くない行動の決断を誘う
650円の短パンを選んでいるどころではなくなった
苦しくなってそのスーパーをでた
しかし余韻は残り、わたしは、最も重要な悩みかのように持ち抱えてしまった
ところが、
次の店に入って、野菜を選んでいるうちに、
ん?
と思った
あれ?
と
どす黒い決断はどこへやら、いつもの平常心がもどっていた
そして、
あれはなんだったのだろう、から、
ぁ、久しぶりだけど受心してしまったのかもしれない
と気がついた途端、すっと心が軽くなりふにおちたのだった
まさか、あんな安売りの衣料品コーナーで負の感情を拾うとは思いもよらなかった
もし、オバケとか視える人がいたのなら、わたしの横で怒りに狂って睨むような幽霊がみえるのだろうか、、
それはわからない
ひょっとしたら、私の頭や感情がおかしいのかもしれない
今までの受心では、うまいことちゃんと証明できる事実があった
だけど今回のは、わたしの心の中で起こった変化なだけでなにも証明はできない
でも、やはり、この時代、不安にさいなまれていくつも『負のタネ』を作ってしまう人がますます増えていくだろう
事件や事故の場所ばかりではなく、あんな普通の場所にも黒い水たまりは浮遊し、足を踏み入れた途端囚われてしまうのは危険だと思う
もちかえってしまいよくない判断をしてしまう人だっている
現にわたしは「そうだった」という人の心を受心したことがある
だとしたら、やはり、ほんとうに気をつけなくては!と心から思った
前のようにやっぱり塩を持って歩こう
今のところ、それしか防衛方法がみつからない
塩をもつ
うっすらと塩をなめる
単純なことだけれど、案外と助けてもらっているような気がする