24/9/6/10:01(日記)
何が悲しいのか嫌な夢ばかり見ている。通知音が聞こえてようやく夢から抜け出すも、その後味は残っていて、まだ覚めきっていない脳は現実に起こっていないことをさも真実かのように捉えてしまう。また眠れない。また気分が落ち込む。ついでに、色んな不安ごとを思い出す。隅から隅まで思い出す。何度眠れても、何度も目覚めてしまう。人の温もりを急激に欲する。布団の中なのに、どこまでも寒い。
他人の悩み事や揉め事を大量摂取している。親身になりたいと思い始めた日から、どれだけ自分の考えとは違っても寄り添おうと決めた。決めたと言うか、そうすることが正しいと思った。するとどうか、寄り添っても寄り添った分、(自分の心は)絡まって(ゆく)。それが苦しいことだと分かるし、他人によっては、また別の他人にその情報を漏らすと分かったから、自分の悩みはあまり言わないようにしてきた。もう好きにしちゃってよ、都合よく使っちゃってよ、なんて。
7回目のアラームで、やっと起き上がる勇気が出た。思考する隙を与えないようさっさと準備を済ませて、近所の喫茶店へ行く。夢と現実の間に居る頃、全く別の世界線ではあったけれど共通認識として、あの喫茶店へ行こうと決めていた。昨日あたりから、右足の甲が痛い。酷使した訳でも捻った訳でも無いので、多分心労から来るいつものやつである。右足を庇いながらよたよたと歩くと、喫茶店の立て看板の前に店主が居た。客の自転車の配置を調整して、看板がちゃんと見えるようにしている。独りぼっちの世界じゃないことに気付かせてくれる。
もう入店するのは決めていたけれど、あらあらごめんなさい、看板見えなかったわよね、と気を遣わせないように少し離れた場所でメニューを選ぶ。そこからは全てスムーズであった。席に着いた瞬間に注文出来たし、待っている間は店内のBGMを聴きながら一点を見つめる。頼んだモーニングセットCが運ばれてからも順調だった。今日ばかりは、スマホに心を奪われないように、あくまで食事に集中した。限りある食事量なので出来るだけ時間をかけてたべようと、小休憩を設ける。昨晩見ていなかった分のSNSを見ると、また気分が落ち込んできた。他人の投稿は、全て私には関係ないのに、全て私を悩ます事柄と結びつけてしまう。やっぱり駄目だ、スマホを置いて食事を再開する。
モーニングセットCは、ホットドッグとコーヒーだった。モーニングメニューの大抵は簡単な食事で、作る方も食べる方も手間のかからないものである。しかしながら、その中でも一番工程の多そうなものを選んで、自分のためにかけられた時間を長くする。そうすることで、人の温もりをなるべく多く得ようとしている。残しておいたホットドッグの半分を頬張りながら、目の前のカウンターに置かれたコーヒーの入ったポットを見る。壁が茶色だから湯気がよく見える。蓋から漏れ出た白い湯気はエアコンの風に煽られてか、上へ昇るにつれて揺らめきのスピードを早くし、その直後には空気に溶けてしまう。そればかりを眺める。口の中にはホットドッグの美味しい所が充満している。BGMがクラシックになった。知らない曲だ。これは良かった。音楽が邪魔な日だった。本来なら知っている曲の方が気分は上がるものだが、知っているということは記憶の中にあるということ。無心になりたくてもその曲の節々が、脳内からその情報を引き摺り出すので、不必要な思考が始まってしまう。だから歌詞の無い知らない曲で良かった。
もう前屈みに座ることが出来ない程にまで、自分で自分を保てなくなっていることに気付いた。ああ、今日は駄目な日だ。自分を形作る為の輪郭やら軸やらが無い日だ、小さな刺激にさえ負けてしまう。少し目線を変えて急速な不安から脱しようとする。綺麗に並べられたコーヒーカップ、食器棚の最上部には季節行事の小物が置かれている。サンタクロース、雛人形、鯉のぼり、夏と秋は不在だった。犬の写真だ。3枚ある。ストローをマドラーのようにしてアイスコーヒーの中を混ぜると、氷たちがカランカランとぶつかり合って音を鳴らす。それが入り口のベルの音と似ているので、椅子に座って休憩している店主がたまに入り口に目をやる。申し訳なくて、もう混ぜないことにした。
閉じ込められていた意識が外部へ向くようになった。また日常に帰ってきてしまった。ここからは再び、時間が時間通りに進み、その時間の流れに正確に乗って時間に進められる時間が始まる。もう下を向きながらしか歩けなかった。