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なんでマレーシアの大学に進学したの?前編
Apar Kabar!! マレーシアに留学中のひかるです!
モナッシュ大学マレーシア校でコンピューターサイエンスを専攻していて、現在20歳、京都出身の脳筋です。
今日から私がマレーシアにたどり着いた理由をいくつかに切り分けて綴って行こうと思います!
自己紹介はこちらから!
劇強経歴と劇弱な結果
うんうん、分かります。
なんでマレーシア?もっといいところあるでしょ?
とよく言われます。自分でもマレーシアにいることに納得する日もあれば、満足いかない悔しい日もあります。長くなるけど、お付き合いくださいませ。
輝かしい中学時代
京都でも有数の公立中高一貫校に進学し、イロイロあったものの、中3で全国偏差値は常に全教科70越え、陸上の夏季大会で3000M京都市3位、ジュニアオリンピック予選で1500M京都府2位、ピアノのコンクールでも近畿大会に出場するなど、文武両道を極めていました。
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しかし、ここで強調しておきたいのは、中3の成績が 2.7/5 だったこと。
もちろん宿題をやらない自分が悪いですが、日本において学力と成績の相関関係があまりにも弱いことは強調しておきたいです。ここで14歳(若い)の私は、「学力」さえ保てば、「成績」には拘らなくてもいいという、日本の教育に対する考えを抱くことになりました。
だって宿題をやっている時間にランニングなり、ピアノの練習なりをした方がよっぽど有意義だから。宿題をして頭が良くなるなら、みんな苦労しないから。
正直ここでアメリカの大学に進学したい、という高校時代に抱く夢が絶たれたと言っても過言ではないと思います。GPAが死ぬほど大事だなんて知る由もなかったですね。
世は大苦労時代
ルフィーもたくさん苦労してますが、私も負けていない。
まず、高校生になる瞬間にイロイロあって、母親と二人暮らしが確定しました。ちなみに私が中学受験を決心した理由は、
「高校受験では試験に英語があるが、今のうちに受験すればない」
「どうせなら賢くてサッカーが強いところ」
だったので、もちろん高校でサッカー部に入りました。母校がめちゃくちゃ強いかと聞かれると返答に困りますが、一応全国優勝経験があるのと、私が高校1年の時も全国高校サッカー京都予選で準優勝だったので強豪だといっていいかと思います。
練習は週に6日か7日。朝7時から、毎日グラウンドを1500M走って計測(ちなみにほぼずっとチーム1位)し、そのあとはフィジカルを強くするためのサーキットや、さらなる走り込み。
放課後は授業直後から7時までずっと練習。私は進学科でしたが、他は全員スポーツ科か普通科だったので、そのせいでイロイロと苦しんだこともメンションしておきます(時間も精神も)。
加えて、本格的な受験勉強にシフトしていく学校のカリキュラム(とりあえずみんな難関国公立を受ける)。
6時半 起床
7時〜8時半 朝練
8時半〜4時半 授業
4時半〜7時 夕練
8時 帰宅(たまにスーパーも寄る)
8時〜10時 ご飯作って、食べて皿洗って洗濯回して干す
10時〜 限界を迎える(勉強時間どこ?)
今の私の体力とメンタルなら上手く両立できたかもですが、15歳の私は無理でした。何が起こったかと言えば、もちろん学力の低下。高校1年の時はまだ耐えていましたが、高2ごろから数学と化学が怪しくなりました。
あと、時間的制約もそうですが、体力的にこんなスケジュールをこなすのは至難の技です。海外大学進学をする人にバリバリの運動部が少ないのはこういうところが原因かなと思います。もっと運動部であることのポテンシャルを認める世の中になってほしいなあ。
ちなみに母が夕食時に家にいることももちろんあり、その時は温かい食事が勉強していると出てきました。幸せすぎる瞬間。ありがとう母。
転換期〜塞翁が馬〜
高二の夏、サッカーの練習中に右膝に大怪我(膝からバキっと音がして、曲がらなくなった)を負い、7月に手術をしました。結果リハビリに3ヶ月以上かかるので、朝1時間、夕方3時間の鬼しんどいサッカーの練習がなくなり、人生に少し余裕ができました。
本気でレギュラーを目指していたので、落ち込んでいましたが、何か別のことをするチャンスだなと思っていたところ、ある日の昼休みにStanford e-Japanのチラシを廊下で見かけ、興味を惹かれてそのまま友達と申し込みました。
何も期待していなかったんですが、なんと合格してしまいました。後から聞いたけど、合格率10%以下だったそうです。
英検もTOEFLも受けたことがないし、英語の成績も3の私がなぜ受かったのかは、神のみぞ知る話。
授業開始→まじで無理
いやいや、帰国子女多すぎやろ。みんな英語うますぎやろ。
模試でいつも偏差値75くらいだった私の鼻柱が砕け散りました。
祇園精舎の鐘の声。偏差値なんてバイリンガルの前では風の前の塵に同じ。
いまだに最初の授業で自己紹介させられた時のことを覚えています。ランダムで、とコーディネーターがルーレットを回し、一人一人の名前を読んでいく。
1人目、ネイティブ。
2人目、海外経験10年。
3人目、インター生。
4人目、、、、、。
私は辿々しいサムライイングリッシュで頑張って自己紹介しました。
そんな状態から、なぜかみんなに可愛がられ、必死に英語を勉強して、気づけば勉強って楽しいなと思うようになっていました。
俺っち、海外に行きたい
うん、これは自分海外の方が合ってるかもしれない、と思ったのは高2の冬。高2の秋までは京都大学建築学科を目指していました。
日本の高校ではなぜか先生たちに嫌われて、その宿題にどんな意味があるのか不明のまま黙ってやらないとダメで、色々なことにチャレンジしていたら「フラフラしている」とか「大成しない」とか散々な言われよう。
でも、Stanford e-Japanでは全然違いました。みんなにめちゃくちゃ褒められて、教授にもいい質問だねと言ってもらえたり、コーディネーターに「このディスカッションはひかるが素晴らしい意見を言っていたね」と言われたり、今までの自分の扱いは何だったのかと。色々なことに挑戦していることも、強いとか好奇心が旺盛とか言ってもらえて幸せでしたね。
自分の居場所を自分で作るんだ
これは、もしかしたら、海外の方が居場所があるかも。海外の授業スタイルの方が合っているかも。もっと勉強したい。
今の場所で評価されないことに嘆くより、次のステップで評価される場所に行こう。
こうして私の心は国内から海外受験へと傾き、同時に修羅の道へと足を踏み入れました。もちろん、スタンフォードのプログラムがきっかけなので、まずはアメリカの大学に目をつけ、少しずつリサーチしていきました。この時はまだマレーシアなんて選択肢を考えたことも、アメリカ以外の国を受験する気もありませんでした。
書くこと多すぎるぜ
長くなりすぎるので、ここで前編を終わろうかと思います。後編も執筆中なのでお楽しみに😎
Cya!
あとがき
最近バンコクに住むイギリス人の知人に招待していただき、無料でバンコク旅行をしてきました。人との繋がり本当に大事ですね。感謝。
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