Hikaru IWAKAWA

岩川 光(いわかわ ひかる) 音楽家:ケーナ奏者、作曲家、マルチ奏者、ケーナ製作家 https://hikalucas.wixsite.com/hikaruiwakawa

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岩川 光(いわかわ ひかる) 音楽家:ケーナ奏者、作曲家、マルチ奏者、ケーナ製作家 https://hikalucas.wixsite.com/hikaruiwakawa

最近の記事

酔いどれフィロソフィア

 時間は、物理的にせよ心理的にせよ、過去から未来に向かって流れているようにみえる。しかし、大森荘蔵の哲学を引くまでもなく、神道にいう”中今“や禅の教えにいう”而今“のように、現在只今・この瞬間のみが唯一のリアリティとしてあるようにもみえる。  だからこそ、例えば鴨長明の『方丈記』のあまりに有名な冒頭部分は、著されてから800年を経た今もなお、読む者に時間についての何かを問いかけ続ける。    ところで、音楽にせよ舞踊にせよ、(ドビュッシーが遺した言葉を借りれば)「言葉が途絶え

    • 笛は”つなぐもの”なのかもしれない

       「シンプルを極めるとピュアになる。」 これは、”寿司の神様”とも称される「すきやばし二郎」の小野二郎を追ったドキュメンタリー映画『二郎は寿司の夢を見る』で、料理評論家の山本益博が二郎の寿司を評して放った一言だけれども、折に触れて僕はこの言葉を思い出す。    先月頭に人生で20何回目かの引越しをして、大阪府貝塚市に暮らし始めた。これまでに、地球の裏側への大移動もあったし、”外国人”として生きていた頃は3か月毎に転居を迫られる期間もあったりしたので、正確な”総引越し回数”は分

      • コロンビア人のシャーマンから炎の儀式を授かった話

         この記事を読んで下さっている方の中にも、もしかすると同じような経験をお持ちの方がいらっしゃるかもしれないが、僕は全身に火をつけられたことがある。全身全霊で誰かに恋焦がれたとか、そういう比喩的な意味ではない。ただし、僕の場合は燃やされたのでも焼かれたのでもない。僕に火をつけたのは炎の使い手として生まれ育ったコロンビア人のシャーマンの方である。  と、ここまで書いて、その内容が常軌を逸するというか、とてもまともなものではないので、どう書き進めてよいか分からなくなってきたが、素

        • 「ホンモノのケーナ奏者」になった時の話

           2008年、北京オリンピックの最中、僕はボリビアのラ・パスにいた。高校の修学旅行で韓国に1週間行った以外は海外経験がなかった当時の僕にとって、初めての、しかも単身での海外長期滞在がこの富士山より標高の高い町だった。当時は、メール1通送るのにわざわざ往復1時間バスに揺られて中心街まで出かけて行ったと記憶している。  この町で色んなことを覚えた。そして、日本ではなかなか起こらない出来事に数多接したおかげで、大概のことには物怖じしなくなった。ドアが1枚無いタクシーや、銃で撃たれて

          大切なこと

           経験談が続いたので、ここでひとつぐっと抽象度を上げた話を書いてみたいと思う。  僕はこれまでお客さんとの距離が割と近い場所で演奏することが多かったし、たまにインタビューなんかをしてもらう機会もあったりするので、自身について他者から色々と訊ねられて、答えなきゃいけない時がしばしばある。「ケーナを始めたきっかけは?」なんてのはこれまでに数千回は訊かれていることだから、もう決まったいつもの内容を、所々端折ってみたり、少しばかりドラマチックに語ってみたりしながら、自分自身も飽きな

          大切なこと

          3人のホルヘの話

           「石を投げればホルヘに当たる」と言われるほど、たくさんのホルヘがいるスペイン語圏のアルゼンチンで、僕にとってかけがえのない大切なホルヘが3人いる。そのうち2人は日本はおろかアルゼンチンでさえ知る人ぞ知る存在だが、最後の1人はケーナを吹く人やアルゼンチン音楽が好きな人にはおなじみかもしれない。  ホルヘ・ロレフィセさんは音のマッサージ師である。 あんなことやこんなこと、そのほかにも(これもいつか書くが)コロンビアのシャーマンに全身燃やされるなどとんでもない経験をいくつもした

          3人のホルヘの話

          コンドルと繋がった時の話

           エステバンさんとのツアーはまだまだ続いた。  サン・マルコス・シエラスでの生まれ直すような不思議な体験から10日も経たぬうちに、今度は1500km離れたパタゴニアの町サン・カルロス・デ・バリローチェにいた。南米アルゼンチンにとっての南は、日本にとっての北だから、津軽衆の僕には澄んだ空気と水の清らかさが肌になじみ、初めて訪れたようには感じられなかった。着いた瞬間に「ここに住みたい」と思ったほどだった。    ところで、サン・マルコス・シエラスで出逢ったコメチンゴンの爺さんとは

          コンドルと繋がった時の話

          パチャママと出逢った時の話

           2017年10月末、僕は音楽考古学博士のエステバン・バルディビアさんとのツアーでアルゼンチンのコルドバ州プニージャ地方にある集落サン・マルコス・シエラスにいた。  初めて訪れたその村は、しばしば「アルゼンチンで最もヒッピーな場所」と言われるだけあって、到着した瞬間から異様な興奮を僕に与えてくれた。裸足で歩く人々、パロ・サントとマリファナが混ざった異様な芳香、あちこちで揺れるハンモック… 通りでは「鶏卵10個やるから玉ねぎを3キロくれ」などといった会話が聞こえた。  エステ

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