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性同一性障害 私が外科的手術を受けない理由(後半)

ども、Hikaruです。
今ノートを書いている2024年1月24日、私が転勤しています岩手県の 一関は 大雪です。
そもそも 日本海側の秋田県が雪を堰き止めてくれていますので、太平洋側で 海に接していない、それも 内陸の盆地の一関では かわいい程度の雪しか降りませんので、関東の首都圏出身の私からすると 雪が降るたびに クリスマス気分になって、それはそれは 一人で 勝手に めでたい気持ちになっていたものです笑 しかし本日 ばかりは、怖いですね!!
さることながら この銀世界、また何処かへ転勤することになっても「一関の景色は良かったな」と 何年経っても思い出すことでしょう。人も とっても優しい。それくらい 一関を 気に入っております。

車でレジャーに行くことが趣味なんですが、ご存知の方には 説明不要だと思いますが 私が乗っている車は… 雪道走行 無理です笑 ど田舎一関で車が使えないのは 詰んだようなものですが、たまたま 本日のところ 戸籍上の性別変更のため バタバタしていて 書き物をしなければいけない用事があったため 暇に殺されずに 充実した日々を過ごしています。そんな訳で本日もnoteを書いています。
さて 本題に戻ります。

前半のnoteを読んでいない方は 先に こちらを お読みになってください

理由⑤投薬等の治療とは 異なる、不可逆的な内臓の切除等を 戸籍上の性別の変更にあたって 治療の一つであるのに、選択の余地なく 不本意に強制されることは おかしいと思うから

何故か性同一性障害の当事者にだけ、治療を全て受けるようにとか 外科的手術を受けたいと思わないならそれは性同一性障害者ではないとか、言われの無いことを 当然のように言われる傾向にあるように 私は感じています。
GID当事者であるか否かに関わらず、また身体・精神・知的等の 障害に関わらず、はたまた 障害でなくとも 何かしらの原因によって 持病等があって 投薬等の治療を受ける必要がある方は 皆さんの身の回りにいらっしゃることでしょう。投薬等による副作用と 引き換えに それ以上の健康(ここで言うところの健康とは 本人が健康と思うかどうか によるものとします)を得たいがために、副作用については享受するという選択をする方が 多くいらっしゃることは 想像に難くないでしょう。皆 どの薬を飲むか どの治療を選択するか 医師の指導を基に 、最終的には ご自身で判断し 必要以上の治療は受けない選択をされる方も当然いることでしょう。そして このような選択に対し外から文句を言う方は ほとんど いないことでしょう。
それなのに なぜ性同一性障害の当事者だけが 投薬等の一般的な治療とは異なる、不可逆的変化である それも正常な臓器等を取る手術を、本意でないのに、戸籍上の性別の変更にあたって 半ば強制されるのでしょうか。前半のnoteで取り上げました GIDの診断ガイドラインと 現行法が全く噛み合っていないというか、というより そもそも ハナからおかしいと思います。
私は おかしいと思うことを受け入れることができませんので そんな心情含めて 外科的手術を受けたくありません。

法律の大原則に立ち返った 画期的な 最高裁 違憲判決

そもそも 戸籍上の性別の変更にあたって その変更の要件として 手術を求めることは 憲法第13条の 身体の侵襲を受けない自由に 反することを かねがね指摘されてきました。これがようやく 2023年10月25日 最高裁判所の裁判官15名にて開かれた大法廷において 全会一致で 違憲とした判決は、法律が憲法に反してはならない という至極当然な 法律の大原則に立ち返る、課題は色々あるでしょうが それよりも人権を優先させた、画期的な 判決であったと言えるでしょう。
私が おかしいと思うように 裁判官の皆さんも おかしいと思ってくれた、そう 私は信じています。

2023年10月25日の最高裁違憲判決を知りたい方へ
判決の概要を 説明するnoteと 何故この判決が 大きく報じられたのか 解説するnoteを過去に書いていますので、気になる方は ご一読ください。

理由⑥そもそも 治療しない方向へ 心と身体を折り合わせていく ことが正しいと考えるから

理由⑤でも 触れていますが、性同一性障害の当事者だけ 治療しない方へ向かおうとすると「それは性別違和じゃない」とか「真の性同一性障害者じゃない」とか 言われるのは 何故なんでしょうか。

性同一性障害を除く 持病ある方は 例えば精神疾患で考えますと トレーニングや 減薬を行なって、治療そのものが 必要なくなるよう 寛解させることが 現在のスタンダードになっています。ガン患者に おいても ガンが小さいのであれば 手術ではなく 抗がん剤によって 寛解させる選択もあり それを選ぶことに誰も物言いしてこないですよね。何故それが 性同一性障害においては認められないのでしょうか。

私の場合 前半のnoteで 胸オペについて述べていますが、胸オペの後遺症を全て 受け止めることになっても それはそれで 私は構わないと思っています。ただ 違和が重度でない以上、わざわざ 結構なリスクをとって 手術する必要はないというか、心と折り合わせて 解決することも 可能なのではないかな と考えています。

実経験として、私は 一見 身体が男性化しているように見えますが 脱ぐとモロ女性な訳で、それなのに そんな私を好きになる、物好きな女性もいます。
「手術する選択をするなら それを応援したい。でも 私は ちょっぴり さみしい」
好きだと言われても 身体的 性別違和の程度は変わらないですが、そう言ってくれるなら 胸を残しておいても良いのではないか と素直に私は思ってしまいます。
別に恋愛だか交際相手を例に取らなくても、親に貰った身体を傷つけて 悲しませたくない と言う方もいるでしょう。そのような理由から 外科的手術を選択しない決断について、尊重されて良いのではないでしょうか。

戸籍上の性別の変更にあたって 要件を満たさなくなるから ダメだ という意見なんだと思いますが、要件を満たさないながら 性同一性障害の診断書を持っている 当事者は いくらでもいますので、医者でもない 外野が、つまり診断する権利のない者が「あなたは性同一性障害者ではない」等 言うのは当事者に対し 失礼極まりないでは ありませんか。
そもそも 司法が 手術要件を違憲として 無効にしたのですから、当時は 必要な要件だったとしながららも、現在おいては 現状に即さず、誤っていると司法も 認めている訳です。とやかく言われる筋合いは無いと考えます。私は上記の理由から 外科的手術を受けません。

理由⑦個人的な 人生理念で考えたときに、自分に嘘をつく生き方を選択する気がないから

先述から触れていますが、私の性格上 おかしいと思うことに屈したり 認めたと相手に受け取られるような行動を することが できません。要は単に私の我儘で手術したくないのですが、そもそも治療としてみれば 私は もう十分尽くされていると感じますし、殊更に 法律の建付が おかしいのですから、十分認められる我儘ではないでしょうか。
人生理念でみたときに 私は 今後の若い世代のロールモデルに足る 人生を歩みたいと考えていますので、再現性ある 人生選択をするのと同時に 自分に嘘をつく生き方を、私の人生は1度きりであるから したくありません。このため 望まない外科的手術を受けたくありません。

反対意見を述べて 私に外科的手術を強いる方は その分の責任を負ってください

手術を受けろ等 言う方は、例えば 私に外科的手術を強いて 受けさせるのであれば その分の責任を負ってください。
私が もし 後遺症により働けなくなったら、26歳 現在の私の年収は600万円ですから、毎月50万、年600万円を私に お支払いください。別途リハビリ費用等も当然支払ってください。28歳には 年収800万となりますので、将来 昇給・昇進を見据えた 金額を お支払いください。そして 別のnoteに書きますが 私には夢が2つあります。それを 私の代わりに 実現してください。約束だからとか 可能性の話だから という言い訳は聞きません。確実に実現なさい。ちなみに GID当事者でないと 私の夢のうち1つは実現不可能です。もう一つの夢は 実現に数千万から数億の資本が必要になります。そして年単位の時間を要します。10年かかるかも しれません。それだけの責任を負う ことが 反対意見を言う方に、できますか。できないなら 言わないでください。私でなくとも 手術を望まない当事者は それぞれ 生活や夢があります。それを壊した責任を負えないなら 言わないで欲しいし、話を聞きたくもありません。

正しいかどうか決めるのは 結局のところ司法です

約12,000字かけて 何故 私が外科的手術を受けないのか、理由を つらつら述べました。私は 手術無しに 戸籍上の性別変更をすることが正しいと思いますし、それが間違っていると言う ヘイターや反対意見を述べる GID当事者の方は、これだけ言葉を尽くして説明しても 誤っているとか理解できないとか言うスタンスを変えることはないでしょう。最終ジャッジを司法に任せましょう。私はそれに従います。日本の民主主義を基にした 司法判断が 正しい、そうしようじゃありませんか。どうですか。悪くない提案でしょう。

手術を望まないながら、私が 身体が女性でありながら 内面を「男」であると考える理由

私自身 心に性別があるのか、そもそも疑問に思っているところがあります。自分のことなのに 私は ときたま 私のことが分からないことがあります。心の性別についても 本当のところは分かりません。
ただ スーツなど そのような服装が好き、相手に男性と受け取られる髪型や 話し方が好き、男性として結婚できたら と素直に思う気持ち、おそらく 皆さんが私を見た時に 男性だと思われるだろうこと、男性的な振る舞いをすることが 私にとってむしろ自然である
このような事実の積み重ねから 私は私自身の内面を男性と認識しています。

このnoteをお読みになった皆さんへ

最後の方は 感情的な記述が多くなりまして失礼しました。でも 私も言われっぱなしである 訳にいきませんので 私見でも キチンと述べたかったんです。一読された 皆さんはどのように考えましたか。よければ 感想等 お聞かせください。

外科的手術を望まない理由を 誰からも読める形で残さなければ、そのように サンプルを増やしていかなければ 世の中は変わっていかないと考えています。このため私は noteの投稿を続けています。

GID当事者が 自分らしく生きられる 寛容な社会が実現されるよう 私も 何かの足しになれる存在となるよう目指しています。

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