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目と耳
昨日のこと。
最近なんとなく考えてた自分にとって「目と耳どっちが大切か」問題についてインスタでみんなに聞いてみた。
本当人によって違ったんだけど、いろんな意見があったり、この人はこっちっていうだろうな〜っていうのが当たっていたり、外れていたりして面白かったので忘れないうちに記録。
まずなんでこれについて考えていたかというと、結構前に友達たちと「究極の二択ゲーム」というのをしていて。その場にいた友達たちがみんな音楽も映画も好きな人たちだったので、「一生映画が見れないのと、一生音楽聴けないのどっち選ぶ?」という質問をしてあれやこれやと話し合ったことをふと思い出したから。
なんとなくインスタで質問してみるまでは、目が見えない方が嫌かな〜と考えていたのだけど、色々考えた結果、耳が聞こえなくなる方が嫌だな、という結論に達した。
目が見えなくなる方が嫌だっていう方を選んだ人たちは、好きな人の笑顔を見れなくなるのが嫌だ、とか、絵の方が好きだから、とか、人間が得る情報の8割が視覚だから、見えないのは怖い、見えると少しでも相手の気持ちがわかったりするから、とか色々あっておもしろかった。
私もアートとか好きだし、好きな人の顔見れなくなるのは悲しい、道端の綺麗なお花にも気付けないし、面白い形の雲にも気付けない。
けど、逆に人を見た目で判断しなくなるし、汚いものも見なくて済む。
人を好きになるのに見た目じゃないっていうけど、やっぱり見た目から入ってしまうのは事実だし、オシャレな人がいると見てしまう、イケメンも美女も見てしまう。
う〜〜〜〜む。
難しい、結局どっちも大切ではあるから。
けど、ちょっと考えてみた時に美しい景色を見た時とかに目を瞑ることはないけど、気持ちいい、心地いい音楽や声に触れた時は私は結構目を瞑ることがあるなあ、ということに気づいた。
ライブ中もクラブにいる時も気持ちよくなると目を瞑ってしまうことがある。
これは意図的にではなく、気づいたら自然と目を瞑っていることが多いからなぜ瞑るのかは今考えてみたんだけど。
多分見えすぎることが邪魔だなと思うことがあるんだろうな、と。
人間が情報を得る時に8割視覚情報から得ている、というのは事実で私も生活を繰り返していく上でそう感じる。けど、見えてるものって本当は見えてないのではないかなと思ったりする。(どゆことだ)
言葉にするのは難しいけど、見えることって安心だし、見えるとわかった気になってしまう気がする。ん〜〜〜〜うまく伝えられなくてもどかしい。
例えば、テストで8割取れたら割と安心する、大体のことは理解できてる、って言えると思う。
けど、2割しか取れてない人は不安になると思う、不安だからもっと知ろうとするし、努力するんじゃないかな、と思う。
8割取れてる人はなんとなくわかった気になる、本当に大切なものは残りの2割の方に含まれているのかも知れないのに。もちろん全員がそうではないと思うけど、多くの場合は多く得てしまうと、その状況にかまけてしまうのではないかなと思った、という話。
全然いい例えができなくて悔しい、今私が感じていること、なるべく100%に近い形で残したいのに。
けど、まあ言いたいことは視覚情報っていうのは私の中では替えがきくものなのかもってことです。見えなくても感じられると思ってる、肌とかで。
多分目が見えなくても、大自然の中とかで私はその気持ちよさを風とか空気から感じて真っ暗な世界の中に綺麗な景色を思い浮かべることができる、と思う。
まあわかんないんだけどね。
色々考えた結果、私は耳が大切だなと思ったけど、この質問に勿論正解はなくて、自分が大切にしたいものが何かって話なだけです。個人的にみんなの意見も聞いてみたかったからインスタで質問してみた。
やはり哲学科出身なので正解のない質問に自分なりの答えを出す、というのが好きだし、他人の考えとか、そういう答えに至った経緯を聞くのが好きです。
答えてくれた人、ありがとうございました、とても面白かった!
その中でいいなと思ったのここで紹介しておくね。
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