1115 日記
半年ぶりの小山田壮平のライブ。弾き語りツアーは椅子に座れるのでのんびり見れて好き。私はあんまりセトリとか気にしないというか何が聴けても幸せだと思うタイプなんだけど、1曲目から弾き語りだったら1番好きな16を歌ってくれて最初から涙ぽろぽろ鼻水ぐすんぐすんでした。アンコールの最後の曲も好きな曲ランキングベスト5に入るPeaceで、最初と最後が私得すぎて本当にただただありがとうとなりました。小山田壮平のライブに行くとただただ小山田壮平への感謝の気持ちでいっぱいになる。この人が今日まで生きていてくれて、そして歌を歌ってくれているというその事実が本当に嬉しくて尊くてただただ感謝しかできなくなる。この人の歌声に沢山背中を押してもらったし、腕を引いてもらった。これからもきっとずっとそうだと思う。大好きな小山田壮平の美しい目を近くで見れてこの人の信じる光ならやっぱり信じることができるなあと思った。昨日まで本当に気持ちがグズグズしてて今日もライブ終わってからグズグズした気持ちになったけど行ってよかった。また来年もこの人の歌う姿を見たい。
そして帰り道に銀色夏生の本を読んでいてとっても共感出来ることがあったので忘れないようにここにメモ。別にありのままでいいのにね。どうして違うものに見せようとするのだろう。高そうにとか、偉そうにとか。そういう気持ちこそが貧乏くさいよ。そのままで、よくないものなんかないのに。それはただそれってだけのことじゃん。自分を恥じて自分以外のものになろうとした瞬間、すべてが貧乏くさくなるね。思わずうんうんと頷いてしまった。センスがいいと思われたいとかこういうのが好きだと思われたいとかって、そういう気持ちがそもそもダサくていやしいと思う。自分の好きな物が多数派であれ、少数派であれ好きならばそれでいいはずなのに、こういうのを好きといえばセンスがいいと思われると思って言う、みたいなのが最近本当に多いと思う。SNSに載せてても実際喋ってみれば知らないんだろうな、みたいなこと。知らないのが悪いのではなくて本当は興味がないのに興味があるように見せるってことがダサいなと思う。どこまでいっても自己肯定感とかって日常生活の自分の生き様を変えることでしか上げることって出来ないと思う。毎日が生き様。毎秒が生き様。それの積み重ね。自己中は嫌われるかもしれないけど、生き様くらいは頑固であってもいい。というか頑固でありたい。と思った日でした。
気持ちがなんかまた落ち込んでるのでアイス食べてさっさと寝ることにする。スーパーカップのクッキークリーム本当に美味しい。