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oasis KNEBWORTH 1996

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映画館で公開されていたライブドキュメンタリー映画「oasis KNEBWORTH 1996」の感想。

最近オアシスをあまり聞いていなかった。
オアシスの曲は令和に流行る夜組のポップスや耳になじんだアニソンとは違って、ノイズのあるところで流し聞きするにはあまりにも心に染みすぎてしまうし、流れている空気が陶酔的すぎる。
映画館でこのライブ映画をみていた2時間ちょっとは、完全にノイズなしでオアシスの世界にどっぷり浸かることが出来てほんとうに幸せだった。誰もが憧れるあのギターの音作り。訛った英語。最高音質で至福であった。
この人たちもあれだ、ブルーハーツとかといっしょで、ライブ盤の音源を聴いちゃうとレコード音源に戻れなくなるタイプのひとたち。だからCD音源にも歓声入ってるときあるのかもね。このかっこいい世界の一部に吸い込んでくれ~と思ってしまう危ない音楽だ。

ライブにどれくらい行ってないだろうか?あんな気持ち良い屋外ライブにそもそも行ったことがあるだろうか?
ぜったいに生で聞きたいと願っていた好きな曲が来たとイントロで分かったとき、どうしようもなく嬉しくて、時間が止まったんじゃないかというくらいにその瞬間のすべてが幸せに思えて、世界のすべてがそのサウンドだけでいっぱいになる中、大声で歌詞を歌い、演奏のキメで身体を揺らせるあの幸せ!――あれは、どうやったって替えが効かない。ああライブに行きたい。

ライブはファンタジーだ。
3センチ隣に畳んでいない洗濯物が転がっていて、スマホに明日の集合時間の通知が届くいまの配信公演とはまったく違う非日常。生活とは遠く離れたライブという現場で、ただ身体の隅々まで音楽を沁み込ませて良いのはやっぱりライブだ。
苦労して手に入れた大人気バンドoasisのチケット、それを握りしめてイギリスの片田舎まで電車や車で何時間も旅したその過程で、どんどん観客はライブという特別な夜に取り込まれ、生活から離れていった。食事もトイレも我慢するようなモッシュピットにいて、それを日常を呼べる人は流石にいなかっただろう。
でも会場には間違いなく自分がいて、隣には大事な人がいて、その日までの人生とその日からの人生がある。当時実際に会場にいたファンの声とともにそれが語られるのを聞いて、「自分と愛するものだけが純に存在したその夜」がどれだけ忘れられないものだったかを鮮明に想像することができた。

スマホのない時代のライブ、正直うらやましかった。
チケットをとるのに何時間も並んだり死ぬほど電話かけたりするのはべつに戻ってこなくても良いけど、どんなに好きな曲を聴いていても頭の片隅で「どの曲をストーリーズに載せようかな」とか考えなくて良かったり、「スマホなんて置いといてずっとこの目と耳で楽しもう」と決めたのに皆が撮影してるとなんか損した気になったり、そういうことって地味にストレスなんだよなと思い出した。
語りで「全員が全曲の歌詞を知っているライブだった」という声があったけど、その全員が両手を上げていっしんに合唱している光景はもう戻ってこないんだろうな。
チケットがとれなかった人たちはみんなラジオにかじりついていて、テープレコーダーを慎重に速やかに操作して録音していたというのも、時代を感じさせて良いエピソードだった。ストリーミングって、追加でお金を払わなくても好きな曲が聞けちゃうから、「これを聴くために手間をかけた」という実感を持てないのが切ない時がある。だから握手券やライブの応募券としてCDを買い、グッズにお金を落とすのだけれど、やっぱり音楽そのものに愛着を示せる肌触りのある行為って、アナログのほうが分かりやすいんだよなあ。

リアムもノエルも若くてカッコよかった。猫背万歳。リアムの歌い方、UKロックのコピーバンドするようなバンドマンなあ一度は真似したことがあるんじゃなかろうか。何を隠そう私も友人にもらった青いカラーサングラスで映画館へ赴いた。スクリーンのギャラガー兄弟はぶっちゃけ、いまとは違う輝きを湛えてた。(ストーンローゼズのジョンスクワイヤーの紺のネルシャツも可愛かった。)
モヒカンでぴち革ジャンのロックスターじゃなく、マンチェスターの公営住宅から育った若者たちが、だれよりもカッコいい音楽を12万人の前でかき鳴らしている――こんな熱狂っていまあるの?と思っちゃった。
暮らしぶりとか態度とか言葉遣いふくめてキャーキャー真似したくなる男性バンドっていうのがいつまでも思いつかなくて、あれそういう概念自体今どきじゃないのかなあ。アイドルはみんなセルフコンフィデントで素敵だし、リベリオン的なバイブスのバンドもなくはないけど、神聖化できるキャラクターってあんまりメジャーじゃなくなったような。尊大なロックスター、まだまだいたって良いんじゃあないのかい。
私ですら「あの曲とあの曲とあの曲、コピーできた人生でよかった」と思ったもん。私のヒストリーの一部にオアシスを演奏したページがある。それだけで超クールに思えた。あと1歩でコピーした仲間たちに興奮のラインを送りそうになった。ひとりで観に行ったのはちょっと寂しかったかも。

最近もっぱら演劇やミュージカルがメインの生の娯楽になっていて、音楽もアイドルとかをよく聞いていた。けどやっぱりバンドっていい。
ダンスやバレエのパフォーマンスを見ても思うけど、「物語がないパフォーマンス」って、それだけで表現の純度が変わってくる。ストーリーラインの表現にポテンシャルを割かない分、メッセージやインスピレーションを最大限にぶつけられるような気がする。
もちろんバンドは歌詞がある。エピソードのようなものがないわけではない。でも歌詞の解釈はひとりひとりかなり違うし、oasisの歌詞は1番と2番のサビが一緒かつ結構わけわかんない系なので、ミュージカルとかとはやっぱり違う。誰かの物語とか自分の物語とかでなく、その空間に音と自分が存在して、その重なりが二度とない一夜をつくるということなのだ。
ファンの声には「彼らとは同じものを好きだった、それを聞いているか演奏しているかの違いだけだ」とか「彼らはただ何もせず演奏すれば良いだけだった」とかあったし、メンバーの声にも「観客は大事だが自分たちはやることをやるだけ」みたいなのもあった。つまりどれくらい相互に干渉してライブが創り上げられるかの解釈はぜんぜん人によって違う訳だけれど、演劇のように物語に没入していくというよりかは、爆音に身を任せて大きないったいの何かの一部になれるのは心地よいことだと思う。

人と仲良くなれるかという基準として趣味を過信しすぎるべきではないというのは大きな信条のひとつではあるものの、やっぱりこの映画を観てウオオと思える人が悪い人だとは思えないのよ。映画館にいるひとみんなとちょっとだけ話したかった。思ったよりおじさんがいなくてイケの若人が多くてちょっとビビったけど、ソウルメイツだよみんな。今度カラオケ行こうね。

最後にせっかくなので、oasisの好きな曲の部分ランキング発表します。
1.Don't Look Back in Angerの2番Aメロでギターがキン↑キン↑
2.Cigarettes and Alcoholイントロのででで~と低い音にギャギャギャギャジャラッジャ~ンと高音でギターが入ってくるところと、sunshineをスンシャアアインって言うところ
3.Some Might Sayの2番「The sink is full of fishes / She’s got dirty dishes on the brain / And my dog’s been itching / Itching in the kitchen once again」の歌詞のビートルズ感(実際I am the Walrusとかアンコールでコピーするわけですよ)

ではまた!

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