心安らぐかたち ~「イサム・ノグチ 発見の道」展~
結構前ですが‥気になっていたやつにやっと行けました。ぴーす!
行こうと思った理由
北海道・札幌の「モエレ沼公園」に高校の修学旅行で行って以来、イサム・ノグチが好きになった。在学中、慶應にゆかりがあると知って親近感も抱いた。そして卒業後、インテリアを探すうちに彼のアカリシリーズが国際的に評価されていて嬉しくなった。そんなノグチの作品をもっと知りたかった。
写真を撮った作品たち
入ってすぐのインスタレーション。キャッチーでアイコニック!楽しい!
部屋を回るうち、下に敷き詰められた砂利や間に設けられた小径が、日本庭園を連想させ、優雅な印象に徐々に変化。
ミミズみたいな輪。先が繋がらない絶妙な長さ。どう見ても”紐”的な視覚情報が入ってくるのに、実際はびくとも動かない大理石というのがおもしろい。
3つの面の質感がそれぞれ少しずつ違うでっかい石。すごく人工的なはずなのに、なんか岩を掘り進めたらカーンと割れてこれが出てきたんじゃないかという自然な印象があって不思議(今思うと”自然に見せる”技術がすでにここにある)。
上面から内側にかけてだけが黒く磨かれた球体。同じ素材が見せる異なる表情、ここまで差が出せるのかと驚いた。すべすべの穴、ブラックホールみたいで気持ちよさそう(ここでも今思うと”すごく手が加わっているのに自然の生み出したものに見えてしまうマジック”にかかっている!)。
「お地蔵さん」。こういう作品も作られていたのは知らなかったけど、”見立て”のなかでもかなりレベルの高いミニマルさというか、一目見てこれが路肩などに道祖神として佇んでいる姿がストンと理解できてしまって鳥肌が立った。頭で考え始めると、別にデフォルメとしては上手くない気がするのに…概念を直接表現しながらも素材選びがリアルだからなせる業なのか。
モンローのヒップ、らしい。展覧会の全作品のなかで一番直接的にモチーフが表象されていたと思う。こんな遊び心のある作品もあるのかと、フフッと笑みがこぼれた。ちょっと平面的・素描的なマインドがある立体、面白い!
ここまで載せた作品が展示されている1階フロアの作品展示の様子。庭園のように点在する作品の間を回遊できるようになっている。
写真のように”お互いの重さを支え合う輪”のオブジェはかなりの点数があったけど、どの角度から見るかによって全体の輪郭が変わるという作家の特徴が全面に押し出されていて、作風の理解の助けになった。
アカリシリーズ。展覧会の文脈で見ると、インテリアというよりも造形作品という目で見ることができて新鮮だった。和紙が醸し出す風合いと偶然に埋れる輪郭線の揺れがほかの作品と違って肌触りを生んでいる気がする。
2階の展示エリア。1階の石の彫刻や鋳造された金属のオブジェとは変わって、金属の平面を追って作られた作品などが多かった。
*この赤いオブジェ、後日に再訪したモエレ沼公園でも別のバージョンを発見!この時は触れることすらできなかった作品に好きに乗ったりできることに感動した!
リス。横とかから初めて見たら、回り込んだ時アハ体験ね。ちょっと絵本や切り絵のようなテイストで可愛いなと思った。
マグリットのでっかい岩みたいだなと思ったら、ほんとうにタイトルが「マグリット」だったので腰を抜かした。お城こそないけど、絶対これだよね。
https://www.artpedia.asia/the-castle-of-the-pyrenees/
写真が撮れなかった作品たち
公式サイトの第3章でもみられるようなおっきい大理石の彫刻がたくさんあった。写真撮影ダメなだけあって、というべきか、いちばん見ごたえがあって心動かされたフロアだった。
円柱でも四角柱でもない、面から面へいつの間にか移ろっているようななだらかな形の作品ひとつひとつを、360度ぐるりと回りながら嘗め回すように観た。
スパンと切り出された直線の輪郭の一部に、岩の性質上生じたであろうガクッとしてそこだけ石の色が微妙に違う様な段差があったりして、そういう不均一な部分は全然手が加えられていないのが気になった。支持体(というか本体)が元来もっていた特徴はなるべく生かそうという意識を感じた。とはいえきっと大胆な掘削があったのだろうけど、それをこちらに一切感じ取らせない。あくまで”世界に存在するモノとしていちばん気持ちよさそうなラインをノグチと話合ってその通りにしてもらいました”みたいな自然さが無言で語られていた。
具体的なモチーフを表現しようとしていたそれまでの作品と違って、明確なゴールは分からないタイプの彫刻だ。タイトルも「無題」とかばっかりだし。それなのに、こちらが眉根を寄せて「これはなにを表しているんだろう…」と悩む隙がまったくない。それって不思議じゃない?。
東京都現代美術館で前にやっていたオラファー・エリアソンの展覧会も、脳に負担をかけない心地よい軽さがあったけど、あれは上手く情報が整理され、緻密に環境が設定されていた作品ならではだったと思う。メッセージは明確だった。
それとはまた違った、ただただとても”気持ち良いかたち”がそこにある感じ。こども用の化石発掘セットで周りの砂が取り除けたり、手紙で下書きとペン入れをした後に消しゴムで鉛筆だけを消すときみたいな快感を思い出した。
ノグチが削りだしたフォルムはさも自然の岩としてとても当たり前だったかのような顔をしていたし、とても心地よさそうな気すらした。人の手が加えられてなお自然のなかにあり続けられる特別なものたち。森のほかの樹木やせせらぎが眠っている間にノグチと密会をして、ほかの自然物よりも洗練されてしまった存在のような感じだったなあ。
心安らぐ形
第1~3章を通していろいろなノグチの作品の変遷を見ることができたけれど、全体的にとても癒された。この日実はノグチ展のあとに2つも展覧会を梯子できてしまった、それくらい疲れなかったのだ。
意図的にいちから作った巨大なモニュメントや、金属板を追って作った造形などの比較的に人の意志が直接表れている作品から、もっと抽象的・感覚的にものの美しい佇まいを極めた作品まで。そのクオリティの高さすべてが、ひとつひとつの素材の材質や特徴と真摯に向き合ったからこそ生まれ得たものだと感じた。
手こそ加えているものの、ノグチの作品は”自然物をどうこうしてやろう”という、支配的な姿勢をまったく感じさせなかった。人類の叡智の結晶のである建築物のように技術を誇示することなく、かといって盆栽や枯山水のように美的感覚に則って自然を整えることもない。とことん石の表情を研究した結果、さまざまな表情の組み合わせのなかで、人為と自然の境界を曖昧にすることに成功したのだ。作品が見せる、まるで「”表現したいもの”がはじめから自然界によってもたらされたら、きっとこんな姿だっただろう」とでもいうような、溶け合ったフォルムが、なんとも心を安らがせた。
後日談
本展の鑑賞とは別で、かつての級友たちと北海道旅行へ行く機会があった。札幌で半日暇だということで、人生4度目のモエレ沼公園へ行くことができた。ノグチが設計したパブリックの広大な公園だ。展覧会で彼と彼の作品のことを少しだけ以前より理解した私は、改めて奇跡的に溶け合った自然とノグチイズムとが生み出す心地よさを感じられたと思う。
修学旅行も家族旅行も彼氏との旅行もすべて雨か曇りだったので、初めて晴れ渡る公園と、キャッチボールや犬の散歩をして過ごす家族連れなどを見て、とてもハッピーな気持ちになった。
やはりノグチの設計した巨大な丘や、花畑の中心にそびえる噴水、カラフルな遊具たちは、北海道の大地とぴったり呼吸を同じくしながら、さらにリラックスしているようだった。そもそも山や丘、ビーチまでもが人工的につくられているというのは本来とても違和感があり、なんならチープなゲームかあるいはディストピア的なイメージを抱かれてもおかしくなはずだが、それぞれがとても純に、美しく、人懐こく、それでいて安全に造られていた。
札幌市のごみを埋め立てて造られたノグチ作品、地元民だったらさぞかし誇らしいだろうなあ。東京の夢の島やお台場近辺の埋め立て地は、いうてもフジテレビと大江戸温泉(もうすぐ閉館)とまた違った感じなので、うらやましいなと思ってしまった。
いろいろな人と北海道へ行って、いろいろな人とモエレ沼公園へ行っている。また札幌へ行く機会があれば何度でも訪れたい、お気に入りのノグチ作品だ。