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Human being


ここ最近、X(旧Twitter)の治安が格段に悪化している気がする。

言論や思想は自由であり、自由でなければならないが、その自由をはき違えた一部の攻撃的な人々が暴走しまくっている。

攻撃対象になりやすいのは、やはり著名人であるが、最近はところ構わずそういった輩が湧いてくるので「私は著名人でないから大丈夫!」ではない。
誰もが攻撃対象になり得る危険と紙一重のところに存在している。

「誹謗中傷」という理不尽かつ非道理な流れ弾に当たりたくなければ、SNS自体を辞めることが最適な策であろう。

私は以前から「伝え方より、伝わり方が大事」だと述べてきたが、最近は「伝え方や伝わり方を慎重にしても、伝わらない輩は一定数存在するので、リスクを考えた上で自分が発言する意味が本当にあるのか、よく考えることが大事」へと変化してきた。(※ちなみに、この記事を書くこと、自分が発言することは意味があると認識した上で書いております)

ひと昔前は、いち個人に対し「アンチ」と言われる人たちがネットの匿名性を生かし執着しているのが主流だったが、最近はその人のことをよく知らないけれど、なんとなく皆が盛り(燃え)上がっているから自分も参戦しちゃえ!的な軽いノリで攻撃している人が増えたようにも感じる。
同調圧力がマイナスな方向へ働いた悪い例とも言えるだろう。

あまりに行き過ぎた誹謗中傷に対しては、開示請求(※誹謗中傷の加害者の身元の特定、またその情報を元に損害賠償請求や刑事告訴を行う前段階)を行うこともできるが、開示請求にかかる費用や時間を考えると割に合わないのも事実である。

また、開示請求したところで支払い能力のない人が多々存在しているのも現実問題としてあり、誹謗中傷された側としてみれば実に腑に落ちない、納得できない結果が待ち受けている可能性もある。開示請求という名前が独り歩きしている現状を念頭に置き、然るべき専門者の助言を元に最適な方法を考え行動していくのも、自らを守る術の最適な手段であろう。

人の芝生はとても青く見えるし、実際に真っ青な芝生の上で幸福に満ち溢れた日々を送っている人もいるだろう。

紛れもない事実として、

上には上がいるし、下には下がいる。

自分自身に順位をつけることは悪いことではないし、人と比べることも悪ではない。
しかし、一方的な思い込みや妬きもちで攻撃することは「悪」でしかない。
ましてや老若男女、沢山の人が目にするSNSという場で見知らぬ人々と結託し、攻撃するなど、それは正義ではなく悪でしかないのだ。

我々人間は「感情」を持つと同時に「理性」を持ち合わせた素晴らしい生き物であるということを忘れてはならない。

今一度言う。

「人間」である自覚を忘れてはならないのだ。



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Hikari Yamagami
私は教育者、またポートレートモデルの視点から、忖度ない素直な思いを自身の言葉で綴っております。思いを言語化し誰かに伝えていくことは、私にとって人を愛すること同様、とても尊く大切なことなのです。皆様からサポートして頂いたお気持ちは表現活動費とし大切に使わせて頂きます。