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トンネルの先は夜かもしれない。

9月1日なので。


私は死について考えることがほとんど無い。

ましてや自殺なんて考えたこともない。

そんな環境で毎日生きている。

はっきり言うと、幸せ者だ。

だけど、これはわかる。


「社会は、思ったよりも愛してくれない」

どれだけ辛くても、耐えてても、

社会は思ったより構ってくれない。

褒めてもくれない。

存在意義を感じるには、

成果を出さないといけない。

現状維持のための努力は見てくれない。

死なないように、自分を殺さないように、

身を削って、血を吐いて生きたとしても、

たぶん、別に褒めてはくれない。

ついには、

頑張って、頑張りすぎて、いなくなっても、

たったの「1」にしかなれない。

そんな思いをする人が100いて、

偶然注目を集めたとしても、

「100」の中の「1」にしかなれない。


社会は思ったより愛してくれない。


残念だけど、これは事実だと思う。

だって無理じゃんね。


それでも好きなタイミングを選んで

死ぬ権利は基本的には、認められない。


たとえ、自分の未来から身を守るための、

正当防衛だったとしても。


たぶん、なんだかんだ言って、

私達は生かされている。


生きたくても、生きたくなくても。


生きるのは権利じゃないのかも。


今が楽しくなくても、

未来がこわくても、

それでも生きていかなければいけない。


ドロップアウトは罪だ。


「いつも頑張ってるね」って、

まめに言ってくれる人がいなくても、

なんでもないことを話せる友人が

1人も浮かばなくても、

家族と縁が切れてても、

行きつけの居酒屋が閉店しても、

ペットが死んでも、

泣いても、苦しくても、

どうしても生きなければいけない。


少々ズルをしても、

周りの誰かが病んだとしても、

馬鹿だと笑われても、

平々凡々な人生でも、

楽しいことがあんまりなくても、

それでも生きなければならないと思う。


何度も言うけど、

楽々に生きてても、頑張って生きてても、

誰も褒めてくれないかもしれない。

労ってもくれない。


どうしようもないこの世界で、

楽しいことがない日も、

辛いことばかりの日々も、

たぶん、生きなければならないんだ。


未来が闇だらけだったとしても、

気が付かないふりをして生きる。

その間に、

どんどんずるいことをして、

だめなら再チャレンジして、

闇ルートを回避するために藻掻く。


馬鹿みたいだけど、たぶん、

多くの人が、

そんな感じで生きてきたんだと思う。


馬鹿みたいだけど。

残念ながら、それが生きることなのかも。


必死に生きてる自分がアホらしく思えても、

大人達が口を揃えて言う

「生きてたらいいことがある」が

全くの嘘だったとしても、

未来が見えなくても、

生きるほうが強い気がする。


正直、未来なんてそう大して明るくない。

トンネルの先は、もう夜かもしれない。

雨が降ってるかもしれない。

でも、星がとても綺麗かもしれない。


出てみるまで、わからない。


チョコレートの箱と同じ。


辛いことを考えないほど、

鈍感にはなれないかもしれない。

楽しいことばかり考えられるほど

楽観的にはなれないかもしれない。


けど、頑張って現状維持をしてきた、

この日々は確実に、

トンネルの微妙なところだと思う。

いつも頑張っている。

生きるだけで精一杯かもしれない。

そんなこと考えたこともないかもしれない。

みんな、生きてて、えらい。

私も。

 








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