ねこあつめの話
ねこあつめが大好きだ。
エサと遊び道具や家具などを設置して、
ただねこが来るのを待ち、
ただ来たねこを眺めるだけの、あのアプリである。
課金の必要も特になく、
しつこい広告もない。
ひたすらねこを愛で、
エサの減り具合をチェックし、
ねこが置いていった煮干しを受け取り
またエサやねこの遊び道具を買う。
私の周りでは
途中で飽きてやめた人が結構いて、
ふと携帯を開けばねこをあつめてる私を見て
えっまだ続けてるんだ?と
言われることもしばしば。
長いことねこあつめ愛好家だった私だが、
携帯紛失を期にやめてしまおうと思った。
バックアップを取ってなかったばっかりに、
ねこあつめも全て
最初からになってしまったからである。
それでも私の中で
ねこあつめは既に習慣になっていて、
なんとなくもう一回アプリをインストール。
再度始めてみて、
やっぱり癒される。かわいい。
ねこあつめの素晴らしさは、
多少の負の感情であれば
アプリを開くだけで
一瞬で吹き飛ばしてくれることにある。
ついさっきも、
交通機関への苛立ちが
ねこあつめによって解消された。
もちろんちょっとした苛立ちに限るし、
私が単純なだけなのだけど。
ねこあつめのねこたちを眺めただけで
消えてしまう程度の苛立ちなんて
そんな小さなものに一時期でも
自分を占拠されてしまっていたなんて、
と気付かせてくれたりもする。
ねこあつめで解消できないレベルの
負の感情になると、
いっそねこあつめの中のねこになりたいって
思い始めたりもする。
そして自分がなるとしたら
どの猫がいいかな、と考えるのも
ちょっと楽しい。
ねこあつめは究極に無害で癒しで、
やさしいアプリだ。
偉大なるねこあつめ、
私の中ではまだまだアツい。
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