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隠岐島から受け取ったギフト

なぜか足を運びたくなる隠岐島。
いつだって足を運びたくなるのは
わたしにとってここはリフレッシュしに行くところではなく
よりわたしになっていくところだから。

この大自然が
よりわたしになっていくことへ誘ってくれる

2022年12月の年末、初めて訪問し

2023年3月、2度目の訪問

そのままでいいと
語りかけてくれる自然はたくさん知っているけれど

そのままがうつくしいをみせてくれる場所は
今、なかなかないと思う。

隠岐島の夕陽を見るたびに
そのままがうつくしいってこういうことだと感じます。

そのままでいいんだ
を超えて
そのままがうつくしい

だからわたしは
隠岐島で心をいっぱい動かしたくなるんだと思う。

よく泣くしよく笑う。
怒ったり悩んだりもいっぱいしちゃう。

滝行で穢れも祓わせて頂きましたw


隠岐島の自然は
寛大ですごくやさしいです。
みていると安心する。

整っていないけど調っている。
手は入れられていないけどあるがままがうつくしい。

そんな自然の姿から
そのままでいいよ
そのままでいて大丈夫なんだよ、と
そのままを受け入れてくれているような安心感をいつも感じる。

無理せず何もしていないけれど
思っているよ、と。
何も考えていないけど
受け取ってもらえる感覚。


beingを教えてくれる隠岐島の自然。
わたしもそうありたい、を見せてくれる隠岐島の夕陽。

わたしが何をしていなくても
愛をいっぱい与えてくれるのが隠岐島の自然です。


隠岐島にあるギフトハウスもそんな場所

隠岐島滞在中、わたしが宿として過ごしているのがギフトハウスおきもち
ちょっと不思議なこの宿、機能としてはゲストハウスだけれど…隠岐島の自然と同じくらい愛をいっぱい教えてくれます。

ギフトハウス管理人:司運さん

ギフトハウスのコンセプト>>司運さんのnote

「贈与で成り立つ世界」を現実社会でチャレンジしている場なんです。

お金という価値を図る尺度があり、交換には損得や見返りがつき纏う。お金による交換は便利だが、お金の奥にある人との繋がりや自然への敬意が蔑ろになりやすい。

隠岐島の異世界(司運)

ギフトハウスにいる間は
ある意味"おかねで済ませられない"世界に生きてる感覚があります。

これがまた自分が出ちゃうというか。
自分でいるしかないというか。

自分をどう扱っているか、がめちゃくちゃ出ちゃう。
ギフトする、というと、他人をどう扱っているかが出るような氣がするかもしれないけど
わたしは自分の扱いが出る、ってすごく感じています。

ゲストだからといって、構い過ぎず、要は、ホストとゲストという垣根はなく、共同生活する仲間として迎え入れる。

隠岐島の異世界(司運)

これが司運さんのスタンス。
司運さんは自分の心地よい距離に正直な人。

だから時にはこちらが声かけにくい時があるんだけど
でもそれってわたしが勝手に遠慮しているだけで。
(意地悪されているわけじゃないからよ)

用事があるならまっすぐ尋ねればいいだけなのに。
申し訳ないと思ったらまっすぐ謝るだけでいいのに。

アウェイな場所や初めてのことに対する心細さから
「やってほしい」とか「教えてよ」という甘えがいかに多いか。

「でも」「けど」「だから」
理由とか言い訳がないと頼んだり謝まったりできなくて…いかにまっすぐ思いを届けられていないか。

やってもらうことや教えてもらうことより
まっすぐ表現できずにいるエネルギーの方が
いかに人に負担や迷惑をかけるか!


今回のギフトハウス泊では
特にこれを味わい、めっちゃ凹みましたw

それを司運さんは
コーヒー飲みながら、夕陽見ながら
わたしが感じるままに寄り添ってくれました。

その日その瞬間に出逢う人と戯れる。ギフトハウスに漂う空気感を存在で伝えて、後は好きにやってもらう。ゲストだからといって、構い過ぎず、ギフトのお気持ちが湧いたら珈琲を振る舞ってお話したり、ご飯作ったり作ってもらったり、掃除したり、一緒に外に連れ出して観光や夕陽を観にいったりもする。

隠岐島の異世界(司運)

そう、まさに戯れるように。

お金じゃそれはないでしょう?
観光じゃ、この体験はないよね。

司運さんがしたいと思ったことをしてくれたことが
わたしへのギフトになった、という世界。

ここにこの世界の魅力があると、わたしは感じています。



時には厳しいと感じることも
時には寂しいと感じることもあるけれど。
してあげようなんてお節介は一切感じなかった距離感。

わたしは人間くさい世界が好きだし、このギフトハウスの世界観が好きです。
凹むこともいっぱいあるけどね!笑


愛の受け取り上手になろう

そしてね。
ギフトを受け取った時、ギフトを感じた時
どうしても「何かしてお返ししよう」って思っちゃう自分も感じました。
役に立とうとしちゃう自分ね。

堂々と愛を受け取っていい自分、と許容できていないのかもしれないし

ただわたしとして存在し(隠岐島の自然のように)
まっすぐにその喜びや感動や感謝を表現することへの遠慮があるのかもしれない。

まっすぐ自分でいられていないエネルギーが
受け取ることを下手にしているんだろうな、とも感じました。


それを教えてくれたのが
ギフトハウスのもう一人の立役者、村上さん。

自分で取ってきた魚を捌いてくれる
超冷たい海にわざわざ潜って!


村上さんは
自分のしたいと思ったおもてなしにものすごく正直。

そしてそこには一切の下心がない。
見返りを求めることがない。

時に自己犠牲的になってめちゃくちゃ忙しくしちゃっている時もあるけどw
それでも文句言ったり愚痴を言ってるところは見たことがない!

人って少しでも自己犠牲的なスタンスで動くと
愚痴が出ると思うのね。
そんな経験ありません?

相手が求めてないこと頼まれていないことまで
良かれと思って自分で選んでやったのに
「ありがとう言わない」って人を責めたりしたりw

それに…
ギフトする相手を選んだり、、しません?

好きだからやってあげる
とか
必要って言われたからやってあげる
とか。

ギフトに理由や裏付けをつけようとする。

村上さんはそういうのがない人。
相手に興味関心があるないにかかわらず(=人を選ばない)
自分が良かれと思ったおもてなしをただただまっすぐ表現する。

だから自然と同化してるんだろうな、と思います。

自然は感動を与える相手を選ばないでしょう?
なんでこんなにやってくれんの?
って自然に尋ねたりしないですよね(笑)

それと同じ空氣感です。

やってくれる理由がないと
疑いたくなる、信じられないっていうのは
受け取り下手の典型ww

こうだからやる、とか
○○だから好き、とか

違うじゃん?

ただしたいからしてくれたことに
まっすぐ
ありがとう!嬉しい!感動〜!でいいんだよね。

おもてなしという愛を
まっすぐ受け取ることもギフト。

「お返しどうしよう」って考えながら受け取るんじゃなくて。

有難いなぁだけで100%自分を満たす。
受け取った有り難さだけで満たす。

満たしたことで湧いてくることが
結果ギフトになったり恩送りになったりしちゃうだけなんだよね。


旅はわたしをつくるもの

今のままのわたしでも生きていけるし
今のわたしだってまぁまぁ悪くないけれど。

まだ「より自分になれる」チャンスを得たなら受け取ろう。
そしてますます自分になって、自分を大好きになろう。

そう感じた旅でした。

そしてね

わたしは人が好き。

摩擦を怖がらず、突き合うことを怖がらず
受け取るチャレンジ、伝えるチャレンジを
愛と勇氣でやっていこうと
改めて感じた旅でした。

それがよりわたしになっていくことに繋がるし

よりわたしを生きることが
まっすぐわたしを表現することが
自分も誰かも幸せにする。

それを感じ合いながら
応援し合える世界は
みんなが幸せに豊かになる世界だね。

葛藤や恐怖もあるけど!

そんな、一見ネガティブな感情も含めて
貨幣の交換世界では味わえない
大きなギフトを受け取った旅でした。

わたしもギフトして生きていこう。

はい、その通り!笑


司運さん、村上さん、そしてたんたんさん。
ありがとう。

大好きだよ!またね!!



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