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ヒトは何のために「頑張る」のか

ウクライナに戻って約1ヶ月。

コロナ禍での単身赴任・リモートワーク主体の勤務環境・勤務先の英語スピーカーは実質2名、という極めて孤独な環境は想像以上で、精神的な負担はかなり大きいです。正直、その孤独さに押し潰されそうになる日も少なくありません。

そんな中、朝6時に起きて24時に眠るまでのほぼ全てを、仕事と自己研鑽に費やしています。そして、ふと思ってしまいました。「俺は一体なんのために頑張ってるのだろう」と。仕事も自己研鑽も嫌ではありません。しかし、何のために?

疑問を持ってしまった以上、最短でもあと6ヶ月あるこの赴任期間、この答えを見つけられなかったら到底持たなさそうです。ので、過去も振り返りながら、「ヒトは何のために頑張るのか」を考えてみました。

悩みながら書いてますし、実は最終的な答えは出ずに終わります。それでも良ければ、是非ご一読ください。皆様のご感想、ご意見もぜひ伺いたい。。

マズローの欲求5段階説で自分の過去を振り返ってみて

アメリカの心理学者・行動科学者であるエイブラハム・マズローが唱える欲求5段階説は以下のとおりです。
(※この説は実証実験では証明されなかったそうですが、私個人として非常に納得感があるので、大いに参考にしています)

人間の欲求を低位から上位までの5段階に分けたもの(⑤が上位、①が低位)
⑤自己実現の欲求:自分らしく生きていきたい、という欲求
④承認欲求:社会・集団から高い評価を得たい、という欲求
③社会的欲求:社会集団に所属し、安心感を得たい、という欲求
②安全の欲求:危機を回避し、安心で安全な暮らしがしたい、という欲求
①生存の欲求:生きていくための本能的な欲求(食事、睡眠、排泄など)

生まれてからこの方、①・②は満たされた状態で生きてきました。本当に有難いことです。天の恵みに、そして両親に大きな感謝をしています。

③も、「〇〇中学」のような形での集団には当然所属していたので、心底渇望したことは無いです。ただ、大学生が何かのサークルに所属したくなるのは、この③によるものなのでしょう。自分は吸い込まれるように体育会卓球部に入ったので、あまり気が付きませんでしたが。。。

④の承認欲求。僕をよく知る方はよくお分かりかと思いますが、この欲求は物凄く強かったです。実感としては2016ー2017年位までは長らくこれが原動力ですね(※)。高い評価を得たい、というよりは「埋没したくない」「差別化されていたい」とずっと思ってました。まあ、「尖っていることが目的」だったわけですね。(※「いやいや!承認欲求まだあるやろお前!」と思った人も、頑張って読み進めてください笑)

さあ、問題の⑤です。この「自分らしく生きたい」。この感情も欲求も全くない。なんですかこれ。「自分らしく」って??。なるほど、承認欲求が落ち着いた今、これが無いから道に迷ってるのかもしれません。

やらされ仕事じゃないからこその辛さ

社会人13年目に入り、「自分で仕事を創れている、選べている」という感覚が非常に強いです。勿論やらなくてはならない仕事はあリますが、それは「右手」で超速で終わらせ、余った「左手」で自由に新規事業の検討をしたり、自分で仕事を取りに行ったり、したい勉強をしています。

そうなってみてよくわかったのは、

・やらせれ仕事、降ってくる仕事の方が、やる理由を見つけるのは簡単
・自発的な仕事は、モチベーションや理由を明確に持たないと進まない

ということです。再びマズローを使って自分の社会人人生を細かく振り返ってみると、こんな感じになりました。

2009年〜2015年:承認欲求✖️やらねば業務100%
2015年〜2017年:承認欲求✖️(やらねば業務50%+やりたい業務50%)
2017年〜2018年:単純に楽しい✖️(やらねば業務20%+やりたい業務80%)
2019年〜2021年夏:事業会社のため✖️(やらねば業務30%+自己開発業務70%)
2021年夏〜    :????✖️(やらねば業務10%+自己開発業務90%)

つまり、まとめると以下に。

①2018年までは強制力のある仕事が多く、モチベーションが無くてもやった
 し、承認欲求や楽しさという原動力があったから日々頑張れた
②2019年・2020年は出向先事業会社のために頑張れた。
③2021年、そして未来・・・????

細分化してみましたが、やっぱり今北極星を見失っている様です。

5段階のその先:自己超越の段階 →人のために?

実はマズローは晩年に「5段階のその先がある」と発表しており、それが自己超越の段階(Self-transcendence)。この段階に達しているのは世界で2%しかいないらしいです。これが設定する数多くの定義に自分は当てはまらないことは分かっているので、「儂は自己超越してる!」というつもりはありません。

が、その中で一つだけ、とても頷くものがあります。

自分のためではなく、世の中のために貢献したいとする欲求

すでに少し記しましたが、「ウクライナ出向者」としての私の仕事のモチベーションは明確に「出向先事業会社の従業員とその家族のため」です。これに尽きます。そういう視点で考えてみると、

今自分が社内でオンラインサロンをやっているのは
「一緒に働く同僚の皆さんが、もっと幸せに生き生きと働いてほしい」から。

余力創出プロジェクトなる完全に勝手なプロジェクトをやってるのは
「同僚の方々の時間をもっとオモロく楽しい仕事に使ってほしい」から。

今推進している新規案件のコンセプトも
「海外駐在員やコーポレートの方々の能力をもっと発揮し、幸せに働いてもらい、ついでに世にValueを提供したい」から。

・・・どうやら、今の僕は「他者に幸せを提供する」を理由に生きているようです。この裏には、「これをやれるのは自分しかいない、自分がやらなくては」という使命感・正義感もあるようです。

「渇き」が無いことの辛さ

他者を理由に頑張る、使命感・正義感を理由に頑張る、自分で書いててもご立派な原動力だなと思います。

しかし、これを原動力に24時間365日動ける気がしません。

僕の大好きな陸上選手の方々は、日々コーチに言われずとも灼熱や高地で30-40kmを走り込み、節制し、年に数回のマラソンに挑みます。そんな彼らの自伝や記事を読むと、終わった後に「支えてくれた皆さんのために・・・」とは言うものの、当然そこには強烈な「渇望」だったり「エゴイズム」があります

マズロー的に言うと、「自己実現の欲求」✖️「自己超越の欲求」でしょうか。

この両方があって初めて、それが大きなエネルギーとなり、そして持続していくような気がします。しかし、今の僕には「渇き」が無い
(キングダムが好きな方は桓騎将軍が浮かんだかもしれません)

安全に日々生きていくことに問題はなく、集団に所属していないと不安というレベルは超え、一定の承認も得てしまった今、更なる承認を求める???そっちには行きたくない。

ここまで書いていて思ったのは、「もっと広範に、そして深いレベルの幸せを提供する仕事がしたい」のかなと。それが、結果としての自己実現になるような気がしてきました。

でも、まだ分かりません。考え続けたい。皆さんの「渇き」は何ですか?

細田 薫

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