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現代は実は退化している!?

久々の投稿になります。
少しばかり慌ただしい日が続いて、お休みをしていました。
また変わらずにお読みいただければ嬉しいです。



昨今、通信機器がもの凄い勢いで発達をして、遠くにいる人ともすぐに顔を合わすことができます。

コロナ禍で広がったのがZOOMですね。

オンラインでどこに居ても会議が出来るし、講演会も自宅から参加ができます。
ライブなんかもオンラインでやっていたりもします。

ひと昔前では考えられないくらいの進歩です。

交通も昔より遥かに便利になり、住む場所も物も建物も良くなっています。

しかし、私はここで1つの疑問を提案いたします。



昔(平安時代や江戸時代など)の人々と我々、現代人は人としてどちらが進化しているのか?



昔の人の方が進化している、と考えた場合
我々、現代人は退化していることになります。

なんだか恐ろしい話ですよね。

進化していると思い込んでいたのに、実は退化していた。
なんてちょっと怖い気がします。


でも、少し考えを変えてみませんか?
昔の方が劣っていて、今の方が優れている、
という考え方を。




今と昔を少し比べてみたいと思います。

昔は自動車がありませんでした。
あったのは牛車か馬車もしくは人力車でしょうか。

動くスピードが格段に違います。

建物も昔と今では全く違います。

今はコンクリートのビルが乱立していて、住宅もタワーマンションや鉄筋を使ったものが多くあります。

それに比べて昔は、木造のみです。柱と柱の繋ぎも木を加工して組み合せます。
壁は土壁や漆喰などでコンクリートではありません。金属でもありません。

道路もアスファルトで舗装されているのといないのとで、今と昔ではまるで雰囲気が違います。


このような点を比べると、
たしかに昔よりも今の方が進化しているように思います。


では次は違う視点から比べてみたいと思います。

「自然と共存」という見方では?



今、現代人は『環境問題』に悩まされています。
たくさんの廃棄物の処理、荒れ果てた森林、海に投棄されるゴミなど
あらゆる場所で問題が起きています。

昔は物が少なかったから、環境問題が起こらなかったのでしょうか?

私はちょっと違うのかなと思います。

昔の物は土に還るものが多かったのではないか?と思うのです。



もし、昔の人が様々なものを土に還ることを前提で最初から造られていたとしたら?

我々、現代人は退化していることになります。


木は腐ると腐葉土となり、土の栄養分になります。

自然のものを活かし、最後には自然に還すことを考えて物を創る。


牛車や人力車はスピードが遅い。

けれど、不用になった車は自然へと戻される。

家も道も全てが自然と共存して、破壊しないように育てながら使う。


このように昔の人が考えていたとしたら、




昔の人の方が進化していた



ということになると思います。


現代人の開発したものは素晴らしい物が多くあります。

しかし、そのどれもが有限のもので造られて、自然に還すことの出来ない物だとするならば

それは間違っているのかもしれません。


自動車が出来たことにより、遠くの距離を速く移動出来るようになり、重い物を一度に多く運べるようになりました。

コンクリートで出来た建物は頑丈で壊れにくく、ちょっとのことでは潰れません。

しかし、自動車の部品にはガラスやプラスチック、金属など自然に還らない物が多く使われています。

再利用するにも限度があり、全てをリサイクルすることはできません。

コンクリートも中には鉄筋が入っていて、コンクリートは石のように硬く固まります。

これを壊しても元には戻らず、石と同様になります。

それらを使って、また新たに物を創り出すことは出来ないのです。



このように考えた時、

昔の人の方が現代人よりも遥かに優れていたのではないか?

と思います。


昔の人は自然の大切さをよく理解していたのではないでしょうか。


限りあるものを奪い合うのではなく、再利用できるものを使い育てる。

便利な現代は時間の流れがものすごく早い気がします。

昔は時間の流れが今よりもずっとゆっくりだったのではないかと思うのです。


だからこそ素敵な和歌が生まれ、月のくぼみを見て「ウサギが餅をついている」ように見えたのでしょう。

感性や感受性が素晴らしかった証です。



今の現代人が退化しているとは思いません。
また昔の人の方が進化しているとも思いません。

どちらも素晴らしい時代だと思うのです。

しかし我々、人間が忘れてはいけないのが、

【自然の中で生かされている】

ということです。


自然に感謝し、敬意を払って使う。
そこに自然との共存が隠されていると思います。

山を切り拓きメガソーラーを建てて、人の暮らしを良くしようとしても、還って来るのは自然の猛威ではないでしょうか?

根が張らず弱くなった地盤に降り注いだ雨は「土石流」として我々が住む場所へとやってきます。

舗装され全ての雨水が河川へと流れることで「洪水」をもたらします。


便利さを追求するあまりに自然への感謝と敬意を忘れ、共存をやめてしまった結末が現代の環境問題へと現れていると思うのです。


見た目がどれほど良くなろうと、本質が悪ければ何の意味もありません。


本当にその行動は正しいのか?

先の未来を考えているのか?


正しいと思っていることは実は間違っているかもしれない。

常識だとされていることは実は非常識かもしれない。



少し疑い、考えてみてください。
違った視点から、角度から考えてみてください。

物事の本質が見えてくるかもしれません。

そうすると真実の悟りが開けるかもしれませんね。






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