魂の存在

『死後の生』についてずっと考え続けている。
大切な人が人生を終えた後、それっきりなんかじゃ切なすぎてやりきれない。

例えば、その人が亡くなる前に「幸福な人生だったな」「いつ死んでも悔いない人生だったな」なんてことを良く口にしているのを聞いていたら…
もちろん失った哀しみは大きくとも、その死の受け止め方やその後の心の回復プロセスは、 ”そのような言葉を聞くことがなかった人"に比べると随分と違ったものになるように思う。

私は "そのような言葉を聞くことがなかった人"であり(大半の人がそうなのだろうと思うけど)、亡くなった父や母の人生を振り返っては切なさに胸を痛めてばかりいる。なぜか幸せだった思い出よりも辛かったことばかり蘇ってしまう。
父にも母にも幸せだった瞬間はたくさんあるはずなのに、「あの時は寂しかっただろうな」「あの時は辛かっただろうな、苦しかっただろうな」とそんな事ばかり印象が強くなってしまう。
勝手な思い込みというわけでもなく、父の晩年は8年近くにわたり闘病していたし、母の晩年も軽い認知症もあったので母にとっては不便に耐えたものだった。
亡くなる前の数年が辛い思い出ばかり重なってるのだから仕方ないのかもしれない。

そんな辛い晩年だったからこそ、亡くなったあと「楽になれて良かった」とか「あの世でゆっくりして」と素直にシンプルに思えれば良いもののそうはいかない。
ここが人によりけり、なんだろう。
そんな苦しい思いばかりしてそれが人生の締めくくりだなんてやりきれない。
死んだらそれで終わり、と魂が存在し続けることを信じられないことほど苦しいことはない。

私は、そうであって欲しいけど素直に信じきれないタイプのために随分苦しんできた。過去形にしたのは、変化してきているからだ。
人は死んでも魂は存在するということが、もしかしたら真実かもしれないと思い始めているから。
あまりに苦しくてそう思いたいというところから出発している。
人って自分が必要とすることを求めて色々と調べる動物だ。
本気で必要とすることなら、なおさら。
私もそう。本当に苦しくてたまらなくて、救われたくてたまらなくて。

純真ではない私はフワフワしたスピスピした感じのスピリチュアル系の本やブログを読んでも納得したり信じることは出来なくて、自分の気持ちの変化を促す存在に出会うまでには時間がかかった。
何百というブログに目を通したり気になる本を読んだりしたけど、私の頑なな心に沁みるように伝わったものはほんの少し。
だけどそのほんの少しが本当に大きな励ましとなっている。そのほんの少しが発信してくれていることは、どれもが共通している。

実際に死んだ人が死後の生を語ってはくれないけれども、そこに限りなく近いのはやはり臨死体験をした方。臨死体験をした方には不思議な能力がある方もいる。
その不思議な能力で知り得る体験をどのように発信するかで、受け止める方としては判断が生じてしまう。この人のいうことは多分真実なんだろうけど私には腑に落ちる感覚がないなと感じてしまうケースもある。
だけど、私が幸せなのは、この人は信じられるという存在に出会えたこと。

魂の存在って本当にあるんだろうか?死っていったいなんなんだ?
そんなことばかりずっと考えてきて、答えがでないことだとしても追いかけてきてたくさんのヒントを探し求めてきて…
死ねば誰もがわかることだとしても、生きているうちに生きながらにしてヒントをつかめたら心はもっと自由になれると信じている。

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