「死ぬのが怖い」 この感覚はなぜ起こる?
数ヶ月前に臨死体験についての記事を書いていたのだけど、
今でも引き続いて臨死体験談を調べている。
「死」に囚われてしまっていて、今だに抜け出せずにいる。
1日中、そして毎日、「死」に振り回され、2年半が過ぎようとしている。
母が他界してからは、より一層現実感を増していて、母親を失った悲しみだけでも十分過ぎるのに、自身の死について思い巡らしてしまう自分を恥ずかしく思ったりもしている。
50代なのに…いい大人なのに。
少なくとも私の周りにいる知人友人は、死を恐怖している人がひとりもいない。
ミッドライフクライシスとか中年の危機と呼ばれるもの?
更年期だから?
だけど、最近ふと気づいたことがある。
幼稚園や小学生の子供でも、「死」に囚われて苦しんでいる子供がいることを知った。親御さんが我が子の悩みを投稿しているサイトをいくつか見つけたことがある。
とても印象的なのは、
「いつか死んでしまうのに…、誕生日がきたら死ぬ日が近づくだけなのに、なんでお祝いするのかわからない」とか
「必ず死ぬのに、なんで自分より大人なのに(死ぬ時が近いのに)、笑って過ごせるの?」とか
人は死んだら星になると聞かされた子供が「星になんかなりたくない。死にたくない」と泣き続けたり…
親が死んでしまったらどうしようという喪失の恐怖は当然あると思う(私も幼少期から親の死に怯え続けてきた)けれど、親を失う恐怖とは別に「死」についての具体的な想像力が強く働いて、自分自身の命が有限であることに気づいてしまっている。
まだ5〜6歳だったり小学生であるのに、
その子の両親は健在であるのに、
それでも死に恐怖する。
このような「怖がり方」には共通性があるように思えてならない。
「人生も半ばになり、自身の死を意識する頃だから」とか「親が亡くなり、次は自身の番だと意識するから」とかいうものだけではないように思えてならない。
私の死への恐怖心もこの子供たちの感覚にとても近い。
生きることは死へと向かっているだけで、必ず到着する死という体験への怯え。
逃げられない、という感覚。
そんな一大事なことが待ってるのに、なんでみんな怖くないの?なんで普通に生活できるの?ぜんぶぜんぶ終わっちゃうんだよ、という絶望感。
そして、その最後の時がとても先の話だと思えないということ。
人生ってあっという間なんだと察知してしまう先取りの感覚。
将来のことを先取りして感じてしまうような感覚。
時間の体感覚の不安定さ。
私が不思議でならないのは、このような恐怖心を持つ人は年齢にかかわらず、一定の人に起こっていること。そして、その恐怖の仕方というか「どのように怖いか」というのがとても似通っていること。
10歳未満でも10代でも20代でも80代であっても、年齢にかかわらずに、特定の人に存在してしまう恐怖であること。
決して、「人間だから死が怖いのは当たり前」という感覚と同質ではない。
自分だけに起きてる恐怖心なら「私っておかしいのか?」など自分を責めてしまうのだけど(現に私は自分は臆病なんだと自分を責めていた)、なんか理由というか根拠というものがあるように思えてならない。
ひとつ付け加えるなら、これはメンタルな病ではない。
10歳前後のときに死に囚われていた数年を超えたあと、繊細で神経質ではあっても、楽しく過ごした学年がちゃんと何年も存在している。
服薬とは無縁だった時代がちゃんとある。
死の恐怖がもし病気なら、あのままずっと恐怖したままで、大丈夫にしていて元気に楽しく過ごせた年数なんて存在しないのではないでしょうか?
なので、私は死の恐怖が病気だとは思えないのです。
私は幼少期に死に怯え、繊細で神経質な子供だったけど、幸いなことにその当時に親に病院に連れていかれたり服薬させられることはなかった。
だけどいろいろなストレスが重なり、20代からはパニック発作や鬱症状に悩まされ自分からメンタルクリニックにかかり服薬してきた。
通院服薬期間はパニック発作や鬱には随分と苦しんだけど「このような死の恐怖」に悩まされ続けることはなかった。
普通のありきたりの若者が体験するような時代を普通に過ごしていたし、今からするとよくそんな勇気あったなというような勢いある体験も重ねてきた。
そして、ついに断薬できる流れになり、50歳になってやっと薬(ベンゾゼアジピンという抗不安薬)をやめてから、この「死を恐怖する感覚」がある日バチッと突然に自分に起こった。
それが起こったのか、薬で麻痺され続けてきた感覚が戻ってきたのか、どちらなのかはわからない。
26〜7年間も薬を飲み続けていてその間は大丈夫だったにしても(もちろん他の副作用はあったので全面的に良かったわけではないけど)、もし病気ならそんなに長期間薬飲んでたら治るんじゃないのか?薬をやめたところで、その恐怖自体は無くなってるのでは?薬をやめて、まだ恐怖が残ってるなら、薬はただその恐怖を麻痺させていただけ…などと文章にするとよくわからないのだけど、とにかく病気ではないと思っている。
(いずれにしても完全に断薬している今思うのは、神経に作用する薬はできる限り服薬しないことを勧めたい。
その時は楽になった気がするのだけど、依存してしまうので、断薬するときと断薬した後しばらくが本当に大変。
もし服薬してしまっていても、脳を上手に慣らしながら少しずつ断薬することは可能なので失望しないで欲しいのだけれども)
話が横道にずれました。
死の恐怖に苛まれ続けることは、本当につらくて苦しいです。
ですが、同時にどう生きたら良いかということも深く向き合えることができています。今までの自分のような生き方がもう出来ない。
なんであんなに無神経だったんだろうと思い知ることが多くて、この先は繰り返さないという決意はとても確かなものです。 適当だった人間関係もがらりと変わります。
とはいえ、恐怖し続けること自体は気力体力が消耗するし心細くてたまらない。
本当に孤独な道。周りに同じ感覚を持つ人がいないのだから。
同じように怖がる人と一緒にいても怖いだけだし、この怖さを理解できない人といるのも苦しい。ここが大きなジレンマになるのだけど。
「死ぬことは怖いことじゃないんだよ、素晴らしい状態なんだよ。だから安心して生きて大丈夫なんだよ」って、体験を通して知っている人。
素晴らしい臨死体験をした人のことですが、このような人たちから語られる内容を自分に浸透させること。
それが今のところ、自分で自分を救うための最適な道。
臨死体験を紹介している動画に助けてもらいながら、模索しています。
知識として理解して信じていても、体感覚として恐怖を手放せないことに気づいているので、ここも私のテーマになっています。
日本人の臨死体験談は、良質なものが圧倒的に少ないのが残念でなりません。
(ないわけではないのです。あります、とても少ないけど…)
コツコツと海外の臨死体験の動画を翻訳して過ごしています。
何十もの(たぶん50件は超えてると思われる…)海外の臨死体験談を読んだり動画で見たりしてるので、少しずつでも紹介していけたら良いなと思う。