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承認欲求のために、貴重な青春時代を費やすのか
こんにちは!
中高生向けのサードプレイスづくりに取り組んでいる高1のひかりです。
もうすぐ高1という肩書きも有効期限切れとなるので、後輩が入学してくる前に使い倒さなければと思うばかりです…😭
タイトルからして久しぶりに真面目な記事なのですが(笑)、「何のために活動をしているのか」を自分なりに言語化していく記事にしたいと思っています。
今回は謎に見出しを頑張っています笑
時間は有限、やりたいこと無限
この見出しだけで、私の悩みが想像できるほど伝わると思います。
すごく当たり前ですが、時間は有限です。
一方、私は好奇心旺盛で挑戦する力・成し遂げる力があるためやりたいことが無限にあります。
「やりたいこと全部やる人生を生きる!」と宣言してしまうほど、非認知的な学びに貪欲な高校生です。
ここまで自由に好きなことをしていると、なぜ活動しているのか自分を見失ってきたのです。
様々な友人のSNSを見ていても、
「褒められたいから頑張る」や、「何のためにここまで頑張るかわからなくなった」など意見は様々。
私は一つ目の「褒められたいから頑張る」を見た時、感じるものがありました。
承認欲求と行動力の相関関係
私も「褒められたいから」を理由に活動しているところに分類されるかと思います。
承認欲求が強いのでしょうが、頑張っている自分が好きで評価されることを楽しんでいるようにも感じます。後述しますが、実際にこの私の特性のおかげで生んだメリットもあると気づきました。
しかしこの考え方でいると、定期的に目的を見失います。
ここまで頑張る必要はあるのか?
なぜここまで自分を犠牲にしてまで人のために尽くすのか?と。
自己犠牲をすればするほど幸福度は必然的に下がりますし、QoLも下がり自己嫌悪に陥ります。
以前までは、とにかく自己犠牲で周りのためにと動いていましたが、自分が楽しそうじゃないと周りはついてきません。
当たり前なのですが、「きつい」や「忙しい」を理由に連絡は遅いよりも、代表が人生をエンジョイして自然と周りも明るいと、団体の仲間も毎日楽しそうな代表についていきたいはずです。
ついていきたいと思ってもらえるようなリーダーでありたいし、評価されずとも困難にポジティブに立ち向かうリーダーでありたいです。
私は最近プライベートの時間を大切にするように意識しています。
メリハリをつけることができるし、活動などのソーシャルライフや学業とのバランスも上手く取れており、毎日が充実しています。
言語化と評価されること
私は喋ることよりもnoteやプロジェクトの選考課題等で視覚的に言語化することがすごく得意です。元々中学生の頃は、「言語化」がすごく苦手でした。
というのも、これを言って相手はどう感じるのだろうか?迷惑ではないかな?と言った思いが発言前に脳裏をよぎり、結局口に出すことをやめてしまうからです。
抽象的な話題に対して意見を求められても自分ごととして捉えることはできず、意見を発せずにいました。
しかしあるプログラムをきっかけに「言語化が大好きで得意な私」に気づき、noteで自ら自分の考えを発信するようにまでなったのです。
それが、中高生のキャリア教育を行うプログラム。週に1回、1時間半ほどの時間メンターさんとお話する中で、自己分析をして興味分野を洗い出したり、イベント企画に挑戦したりしました。
自己分析をしたことで自分を好きになれたし、自分で気づいていなかった興味分野や自分自身の特性に気付けました。
イベント企画では、新しいことにチャレンジする恐怖がなくなり、今のようにさまざまな中高生と1on1をしたり課外活動に参加したりするきっかけとなりました。
そんな半年を過ごすと、自然と、「自分の意見を発すること」に対する恐怖は薄れていくどころか、「こう社会を変えたい」という思いまでも発信できるまでに成長しました。
課外活動などでは選考課題を課している団体さんが多いのですが、普段から自己分析や言語化をしていることもあり、基本的に数十分〜1時間ほどで提出できるようになりました。
この言語化した自分の思いが選考されることを通しても、承認欲求は満たされているような気がしています。
評価される現代社会
学校では「評定」という形、
社会では「学歴」や「肩書き」という形
などとにかく現代社会では「評価」が行われています。
しかしながら、承認欲求を満たす一つの材料となると同時に、評価によって苦しんでいる人がいることも忘れてはいけません。
事実として、評定によって受験におけるスタートラインが異なることも多くありますし、先生によって基準が異なるため、平等に付けられた評価とは言えないこともあります。
私は、そんな「不平等な教育環境をどうにかしたい」と強く思っています。
だからこそ、小さなアクションであったとしても、アクションを起こすことで将来を1mmでも変えることができるのならという思いで活動しています。
承認欲求のために、貴重な青春時代を費やしますか?
これは自戒の念もこめて見出しとしておきます(笑)
自分自身の承認欲求を満たすためだけに、限られた青春を費やしてしまっていたのかと少し後悔する感情の一方で、やりたいことを全部やる人生を生きることを掲げているため、これで良かったような気もしています。
高校生、かつ青春という言葉が相応しい貴重な時間を有意義に過ごしていきたいものです。
長くなりましたが今回はこの辺で。
ここまで読んでくださりありがとうございました!!
次回の記事もお楽しみに〜!