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欠けたままの、不完全な自分を受け入れる

これまで、人と同じように上手くできない自分に劣等感を抱いてきた。勉強、スポーツ、人付き合い、仕事、どれも人より上手くできない。そのうち、「自分はできないのが当たり前なんだ」と思うようになった。

考え方や好きなものが似ている人ともあまり出会ったことがなく、みんなが好きなものを好きだと思えなかったり、会話の内容に「わかる」と思えなかったりすることがもどかしかった。自分はふつうから外れているのかもしれない。そう思いながら、本音を隠して、見ないふりして生きてきた。


ある時、自分の弱さやできなさとじっくり向き合う時期があった。看護師を辞めて、ライターの仕事を始めた頃だったと思う。自分の弱さやできなさを嫌というほど感じて、自分の言葉で文章を書いて発信するのが怖くて、言われたことしかできなくなってしまった。

自分の弱さと向き合うのは、思ったより怖い。こんなに弱かったのかと、自分がみじめになるほどに。それでも、これまでずっと目をそらし続けて、見ないようにしてきたものたちと、そろそろ向き合わなければならないと思い、少しずつ「ああ、自分はこれができないんだな」と受け入れるようになった。

それは諦めとは少し違って、ただ「そっか」と静かに手に取って、またそっと元の場所に置いていく感じ。

自分の心の中を紐解いていくと、弱さだけでなく、自分の好きなものごとや、大切にしている芯の部分にも気づけるようになっていた。


そういえば、私は不完全なものが好きだ。満月よりも三日月が好きだし、ある日海で見つけた、欠けや傷のあるシーグラスを好きだと思った。

欠けた月も、傷や汚れのあるシーグラスも、そのままで美しい。もしもまるく、欠けがなく完璧な状態だったら、こんなにも惹かれただろうか。きっと、不完全だからこそ、その魅力に引き込まれたのだと思う。


私も完璧になりたいわけではないし、人と違うからって、他の人と同じ形に捻じ曲げなくたっていいはずだ。

そう思えるようになってからは、傷や欠けはダメな部分ではなく、自分だけの形だと割り切れるようになった。


それでも、生きていると揺らぐ時がある。自分の形を受け入れたくなくなってしまう。人と比べたくないのに比べてしまって、自信がなくなって、取り残されたように感じてしまう。

そんな時は、苦しいけれど、また自分の弱さと向き合う。

何に傷ついた?
そのもやもやの正体はなに?
これからの私は、どうしたい?

心のなかで正直な会話を繰り返しているうちに、自分の輪郭がわかってくる。ちいさな欠けや傷も見つかる。そこから、その欠けたままの自分で、どうありたいか、どこに進んでいきたいかを考える。すぐに答えが見つからなくても、考え続ける。


弱さを受け入れるのは、簡単じゃない。それでも、弱さや悲しい過去も、なかったことにするのではなくて、できるだけ受け入れて生きていく。

完璧じゃないからこそ、出会える人、見つけられる道、感じられることがある。不完全な自分を受け入れることで、暗闇のなかでもやさしく光ることができるし、人にも光を分けられるのだと思う。

「欠けたままでも、なんかいいな」とまずは自分が思えるように、今ある形を確かめながら、日々を重ねていきたい。


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