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「そつなくこなす」人生から抜け出したくて

看護師として働いていた頃、先輩から「そつなくこなすよね」と言われたことがある。「そつなくこなす」とは「問題なく物事を終える」という意味。飛びぬけて仕事ができるわけではないけれど、任された仕事を無難にこなす。当時の自分は、まさにそんな感じだったと思う。

とにかく問題を起こさず、無難に今日を終わらせたい。そう思いながら、心の声を無視して働いていた。つらいこともあったけれど、無理をすればこなせてしまう。

たまには熱を出して休みたいと思ったけれど、体は丈夫でほとんど風邪をひくこともなかった。心は弱いほうだけれど、心の調子を崩すこともなかった。気を張り続けることで、なんとか自分を保っていたのだと思う。立ち止まるきっかけもないから、走り続けるしかなかった。


「そつなくこなす」ことで、迷惑をかけずに安全な場所にいられたらそれでいい。そう思ってきたけれど、それにもいよいよ限界を感じるようになった。

毎日分刻みのスケジュールをこなし、夜勤もあり、常に疲労はたまっている。優しい先輩もたくさんいたけれど、過剰なお説教や、陰口を言われたこともあった。ちいさなことが積み重なり、私の心はどこかで折れてしまった。ロボットみたいに感情が動かなくなり、このままではいけないと思った。


心の声を無視して「そつなくこなす」のではなく、自分の心に素直なまま、楽しめることをしてみたい。

そう思い、看護師を辞めて、好きだった「文章を書くこと」を仕事したくてライターを始めた。

しばらく頑張ってみたけれど、安定には程遠かった。自分の技量不足もあったし、人脈もなかったので仕事を探すのにも苦労した。数年間続けたけれど、なかなか上手くはいかなかった。

どこかで「なんとか上手くいくんじゃないか」と思っていたけれど、そう甘くはない。人生で、初めて大きな壁にぶつかった気がした。


それからは足踏みするような毎日だった。前に進みたいのに進めず、自分が社会のなかで何の意味もないように思え、まわりの立派に仕事をしている人たちと比べて涙が出た。当時付き合っていた夫にも頼りっぱなしで情けなかった。

だけどやっぱり、心をなくしながら、そつなくこなす人生には戻りたくなかった。


そのうち、たっぷりあった時間を使って趣味でカメラを始めた。雑誌で見た地球にやさしい暮らし方に惹かれて、少しずつ暮らしに取り入れたり、SNSで発信をするようになった。

他の人から見たら、何の役にも立っていないかもしれない。でも、「やっておいたほうが良さそう」とか「後々何かに役立ちそう」ではなくて、純粋に心から楽しいと思えるものに没頭した。お金にはならくても、自分が少しでも何かに貢献できていると思いたかったのかもしれない。

他の人から見たら、「そんなの無駄」と思われるようなこと。なんの役に立つかもわからないこと。半分逃げるようにそういうことに夢中になったし、私自身もすごく救われた。続けるのに理由なんてなくて、ただ楽しいから続けていた。


そこから紆余曲折あり、今はライターの仕事も少し続けながら、シーグラスアートのお店を運営している。制作から販売、発送、SNS運営まで、すべて一人で行っている。お店を始めてみると、それまで「無駄」と思っていたことが想像以上に活きてくるようになった。

ライターで培った文章を書く力は、商品説明やSNSの文章を考えるときに。趣味で続けていたカメラは商品写真を撮るときに役立っているし、SNSで発信を続けてきたことで、世界観づくりや続ける力が付き、発信のハードルも下がったと思う。

どれかひとつでも初心者の状態から始めていたら、ブランドが軌道に乗るまでにはもう少し時間がかかっただろう。これらがなければ、今の私はいなかったと思う。

ただ好きなことをしていて、それが偶然仕事につながった、なんて、すべてがそんなにうまくいくわけではないと思うけれど、一見無駄に思えることが、自分の人生に確かにちいさな光を与えてくれた。


「私なんて何の役にも立っていない」

そう思っていた過去の自分が、数年後の自分の歩く道を照らしてくれている。

今は「そつなくこなす」のではなく、悩んだり失敗したりしながらも試行錯誤を続ける日々が楽しい。

私にとって大切なものは、「無駄なこと」の中にあった。たとえ誰かに「そんなの無駄だよ」と言われても、誰かのものさしではなく、自分の気持ちを大切にしたい。無駄なことからしか生まれないものが、きっとあると信じたい。そういうものが、なんでもない日々に光を与えてくれるはずだから。



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hikari living店主|emiri
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