蒸れた服を着て走る煩わしさのこと

先月、「濡れた服を着て走る重苦しさのこと」というタイトルのエッセイを書いた。初めて雨の日にランニングをしたら服がびしょびしょに濡れ、その重苦しさが人間関係に似ているのではないかという内容だ。

そんなエッセイに、あるお方がこんなコメントをくれた。
「長さんのパーカーが防水になる日が来たら良いなって思いました。」
この発想に、目から大きめの鱗がボロンとこぼれ落ちた。誤解しないでほしいが、”防水パーカーを着れば雨の日に濡れなくて済む”ということを私が知らなかったわけではない。“防水パーカー的な精神で人と接すれば、人間関係でヘトヘトにくたびれることがなくなるのでは”と思ったのだ。

その出来事から約一ヵ月が経った今日、ランニングをしようと朝七時に起きると、窓の外では小雨がしとしとと降っていた。これは「防水パーカーラン」を決行する絶好のチャンス。ワークマンで買った上下セットで1,500円のレインウェアを押し入れから引っ張り出し、上のパーカーだけを着て家を出た。

当たり前だが、防水パーカーは雨をよく弾く。何度雨粒が体にぶつかってこようと、生地の上をつるっと滑って流れ落ち、中のインナーや体が濡れることはない。体を動かす度にシャカシャカと音がして少し鬱陶しいが、そんなことは気にならないくらい気分は最高だ。この防水パーカーのように、人から何か言われても自分の中に浸透させず、外側へと弾いてしまえばいいのか。答えは防水パーカーにあったんだ。これでもう私は無敵だ!

しかし、八百メートルほど走ったところで違和感が訪れる。
なんだろう。暑い。
防水パーカーの内側が、ムレているのだ。体が発する熱や汗を、防水パーカーが外に出ないようガッチリブロックしている。汗でびっしょり濡れたインナーが体に張り付き、さらにその周りを体温で温められた空気が覆い、この上なく不快だ。蒸し暑さは走る距離と比例して拡大していき、終盤には自分がコンビニのショーケースに入れられた肉まんなってしまったのでは、と錯覚するほどであった。幸い人間のまま家に帰ることができた私は、玄関のドアを開けるなりパーカーを床に脱ぎ捨て、シャワーへと直行したのである。

この”蒸し風呂地獄状態”を、私は人間関係においても経験したことがある。4年ほど前、Facebookのアカウントを初めて開設したときのことだ。どういうわけか知らないおじさんからの友達申請が大量に届き、勝手がわからない私は片っ端から承認してしまっていた。友達になったおじさんたちの中には癖の強い人が結構いて、私の投稿に全く関係のない話を長文でコメントしてきたり、ググれば一発で答えが出るようなことを何度も質問してきたりした。「ネットには色んな人がいるからなぁ」と受け流し、彼らの言動に傷付いたりうろたえたりすることはなかったが、心の内側は「チラシの裏にでも書いてろ」「ggrks」といったイライラの蒸気でムレにムレていたのだ(心の声なので口が悪いのは許してほしい)。そんなおじさんたちとの不毛なやりとりを数カ月続けた後、アカウントは削除してしまった。

”普通のパーカー的精神”で人と接すると、重苦しさで脱ぎ捨てたくなる。
”防水パーカー的精神”で人と接すると、煩わしさで脱ぎ捨てたくなる。
一体私は、どんなパーカーを着て人間関係を構築していけばいいのだろうか。通気性が良く・雨も弾き・それでいて軽やか。そんなパーカーがあったらいいなと思う。手に入れるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。

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