「忘れられたもの」の悲鳴を聴きながら、ひと駅分走る【大和〜鶴間】
※方向音痴の意識低い系ランナーが、月に一度、ひと駅分だけ走るエッセイです。
あぁ、なんて退屈な道なんだ。
秋分の日の午後三時、私は小田急線の線路沿いを走っていた。今日のスタート地点は「大和駅」。ゴールは隣の「鶴間駅」だ。線路沿いを走るのは、道に迷わないよう自分で設けたルールなのだが、それにしてもこのコースは退屈すぎる。左に線路、右に住宅。左に線路、右手に住宅……。もう一キロくらいこの調子だ。さらにこの日は諸事情により、荷物の入ったリュックを背負って走っていた。かかとが地面に付く度に、その振動でリュックの中身がゆさっと揺れる。その振動がさらに肩紐に伝わって、両肩がズシンと重くなる。実に面白くない。
精神的、そして肉体的なダルさにすっかりやられてしまった私は、走るのをやめて歩き出す。すると、ずっと一直線だったコースの右手に、細い脇道が現れた。両端を木で覆われたその道は、オカリナを吹いたり傘で空を飛んだりする妖精が出没しそうな、「森の小径」といった雰囲気だ。代り映えしない景色に飽き飽きしていた私は、「ちょっと遠回りになるけど、いいか」と軽い気持ちで右折し、脇道へと足を踏み入れた。これが間違いだった。
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遠目には素敵っぽく見えた森は、実際に入ってみると木が鬱蒼と生い茂る広大な空き地だった。数メートルおきに立てられた看板の「ポイ捨て禁止」というメッセージもむなしく、これでもかとゴミが捨てられている。ブラウン管のテレビやソファのような古い粗大ゴミもあれば、コンビニ弁当やカップ麺の空き容器のような、真新しいゴミまである。生い茂った木々と、積み上げられたゴミとで、空き地の奥は外からは全く見えない。これは、夜は絶対に歩いてはいけない類の道だ。もし今、木の隙間から誰かの手がニュッと伸びてきて、空き地の奥へと引きずり込まれてしまったら……そんな想像を巡らせて、思わず身震いした。
まだそれほど奥には進んでいないはずだ。次の曲がり角で左折して、元のルートに戻ろう。そう思って走り出した私の耳に、どこからともなく悲しげなメロディーが聴こえてきた。そのメロディーは、私が前に進む距離と比例して、徐々に大きくなる。曲がり角を左折したところで、音の発生源と遭遇した。空き地の傍らに車を止め、サックスとアコースティックギターを演奏する老人二人組だ。カーステレオから流れる、昭和歌謡のようなメロディラインのインスト曲に合わせて、サックスは主旋律を吹く。サックスに背を向けるようにして、ギターはコードを押さえる。車に積んできたのであろうパイプ椅子を置いてその上に腰かけ、ご丁寧に譜面台まで立ててある。見ようによっては、お年寄りが人生の余暇を楽しむのどかな風景なのかもしれない。しかし、私の目にはそうは見えなかった。セッションの相手と顔を見合わせることも一切せず、背中を丸めて細々と陰鬱なメロディーを奏でる二人。その様子は、今にも終わりそうなのにどういうわけかいつまでも終わらない演奏を……或いは人生そのものを、嘆いているようだった。
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無事に元のルートへと帰還することができたが、捨てられたゴミの山と老人の演奏風景が目に焼き付いて離れず、深いため息をつく。陰鬱な気持ちを引きずって走るっていると、不意に右手に墓地が現れた。墓地と言っても不気味さを感じるようなものではなく、まだ新しいピカピカの墓地だ。入口のすぐ横には事務所のような洋風の小屋まである。この墓地に、どういうわけか私は癒されてしまった。
私があの空き地に感じたものは、「手入れされていないもの」への恐怖と憂うつだった。同じ「手入れされていないもの」でも、まっさらな手つかずの自然は美しい。しかし、一度人の手を加えてから放置されたものには、忘れられた悲しみが宿る。先ほどの昭和歌謡の旋律には、そういったものたちの悲鳴が溶け込んでいたのかもしれない。真新しい墓地には、忘れられたものの悲しみを感じない。一般的には明るく楽しい場所ではないが、よく手入れされ、整備された空間にホッとさせられたのだ。
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墓地を通り抜けると、また右手に空き地が現れる。「墓地反対!」と力強い字で書かれた大きな看板が立てかけてあったが、長年雨ざらしになっていたであろうそれは、もうほとんど腐ってしまっていた。なるほど、先ほどの墓地は住民の反対を押し切って建てられてしまったものだったのか。そしてこの空き地は皮肉にも、墓地よりも不気味で悲しい空間になってしまったと。
またしても気分が暗くなってきたが、間もなくゴールが近い。実は、本日のゴールは厳密に言うと鶴間駅ではない。その少し手前にある、昔ながらの銭湯だ。再び現れた退屈な住宅街を右に曲がり、お目当ての銭湯にたどり着いた。
温かいお風呂に入って、二・五キロの道のりで体にべったりと付着してしまった“あれこれ”を洗い流すのだ。一刻も早く。
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