藤川球児さんと聞くと思い出す先生
今日、藤川球児さんの阪神タイガース次期監督の就任会見という
ニュースが出ていました。
私は、大阪で生まれ育ったため、
熱心な阪神ファンが周囲にいるのは珍しくない環境でした。
理学療法科の学生だった時に、
春の甲子園で高校野球児の事前のメディカルチェックや試合後のストレッチ指導をする先生たちのお手伝いに参加させてもらいました。
高校野球の試合の後に行われる高校球児に向けたストレッチの最中に、
10mほど離れた場所で、
ユニフォームを着た藤川球児選手が腰に手を当てて立っていらしたので、
周囲がザワザワ・キャッキャし始めました。
「先生、あのお方は、どなたですか?」
熱心な阪神ファンであるA先生に、
小声で聞いてみると、
「お前は、ここに来る価値ないなあ。藤川投手や。笑」
と、優しく笑われてしまった記憶があります。
それ以来、藤川球児さんの名前を聞くと、
20年以上経った今でもA先生を思い出します。
私が理学療法科の学生の時に、
母が、進行性の難病であることがわかりました。
その時は、ショックで悲しくて悔しくて、
落ち込んだ記憶があります。
在籍中だったので、
先ほど登場したA先生に、
母が罹患している病気について話を聞いたことがありました。
そんなことも忘れたまま
月日は流れ、卒業してから5年ぶりぐらいに、
ある整形外科のフォーラムか学会の大きな会場で
A先生をお見かけしご挨拶しに行くと、
「おお。元気にしてるのか?お母さんの調子はどないや?」
と、第一声に母のことを尋ねてくれたことを覚えています。
なんて、優しいんだろう。
わたしにとって大切な母親であっても、
A先生と 私の母は面識もなく、
大学病院に勤めていたA先生には、
A先生自身が直接関わった元患者さんたちが大勢いて、
一学生の親の病気のことを
覚えていてくれたとは露に思わず。。
当時、A先生に、
母自身のことを詳しく聞いてもらったというより、
母が罹っている病気の一般的な臨床症状や予後を教えていただく時に、
母のことも話したイメージで、記憶に残してもらえるほど、
お話した訳でもなく。
A先生の第一声には、本当に驚かされて、
私にとって大切なことを気にかけてくださったことがすごく嬉しくて、
A先生の優しさに 熱いものが込み上げたこと
を、藤川球児さんのお名前を見て思い出しました。
今でも、この時のことを思い出すと、
感謝が込み上げてきて、温かい気持ちになります。
私の脳内では
藤川球児さん→ A先生 → 感謝
一つのくくりで、思い出されるため(雑)
藤川球児さんのことは、あまり存じ上げていないにも関わらず、
勝手に良いイメージ です。(脳ってこんなものです)
というわけで、
藤川球児さんのご活躍を陰ながら祈念いたします。
監督就任おめでとうございます。
(*当方、特に阪神ファンというわけではございませんので、
こちらに来られる皆様のお好きなスポーツ選手のお話は
変わらずお聞かせいただけると嬉しいです)
hikari整体サロン
吉永光恵
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