京都市立芸術大学 2023年度 作品展 (と考えたこと)
「2月に鑑賞したものもの」内でさらっと済ますつもりだったものの…
見に行ったのは1ヶ月以上前のこと
心躍ったのは大学院の保存修復専攻の展示。古い時代の絵画や巻物の修復技術だとか、当時どういう色姿だったのかという推察なんかをしているらしい。芸大の展示というイベントから想像されるような芸術的な製作物ではなく、普通の大学に行ってた私にも馴染みの深いアカデミックなポスター展示だった。芸大にこんなことやってる人もいるんだと思ったが、逆で、こういうことは芸大だからこそできるべきか。
林靜佳さんの研究が特に印象深かった。中国画の運筆法を、当時使われていた教本から学び再現して、実際に模写まで行うというもの。《竹内栖鳳運筆絵手本集》の《鯛》の模写はお見事。
私が絵画を鑑賞するときにたまに言ってしまう感想で「絵うまっ」ってのがあり、大変失礼なんだけど、その大雑把でアホっぽい感想の正体がこの展示を見て少しわかった気がする。私がその時に感動している対象は技術・テクノロジーそのもので、自然科学の分野の不思議な現象やそれを説明する美しい理論に感動を覚える瞬間と似ている。美術品を見にきているのに、うまく感動できるのはartisticな部分ではなくscientificな部分かい。
今回だと、《鯛》の模写を見た瞬間に思わず口をついて「絵がうまい…」が出てしまった。ポスターで研究のあらましを読み、運筆の手順書を眺めてふむふむと頷いたあと、模写が目に入ってくるという流れ。不可避の感動。
この感覚の説明にいつでも使えるように、前から持っていた例ももう2つ書き留めておきたい。
《海、水先案内人》 / ウジェーヌ・ブーダン
白金台にある松岡美術館のコレクション。
パソコン上とかポストカードで見るとあんまり感動を思い出せないんだけど、これも初見時は驚愕した。こんな何気なさそうな絵でリアルに「エッッッッッ」って声がでた自分に驚いた。
流体の描写がうますぎる。雲のうねりと波の流れ。動画のようにも見えていた。今にも動き出しそうというより動いていたと思う。絵画に見せかけたインチキ動画だったかもしれない。技術を極めると流体はカンバス上で本当に流れ始めるらしい。
この筆使いのテクノロジーは現存しているんだろうか。
《悲しみの聖母》 / カルロ・ドルチ
国立西洋美術館のコレクション。
これもやっぱり現物と複製媒体とで印象が全く違う。
頭巾の深い深い青。この青色の底知れなさがマリアの悲愴を余すところなく表現しているよう。
この作品を評しようとすると青の「深さ」と悲しみの「深さ」で同じ形容詞を使いたくなってしまう。認知言語学的(適当)(言葉遊びとも)な面でもおもしろさを見出せたり。
展示の横にはこの青色について解説がある。天然のラピスラズリを使った絵の具でこの色を出しているらしい。希少で高価なだけでなく高い芸術効果を生み出せる画材があり、それをこれ以上ない適材適所なやり方で生かしている。奇跡
表現したいものがあるとき、それを実現するために必要な科学的発見がすでになされてるのってすごいよね。芸術と科学が両輪となって人類の文化を推し進めている感じ。
アートにちょいちょい触れているつもりだけど、アート的な見方は全然わかってなくて、サイエンスの視点でばっかり見ちゃう。それはそれでなんだけど、うーん。わかりません。
現代の芸術に不信感というか苦手意識を持っているのもそれが根本な予感があるけど、解決はこれから5年くらいの課題に。