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色のない世界でただ生きてる。小学生から高校生のわたし。

前回の記事、小学生の頃の私の話に
想像以上に色んな方からメッセージ頂きました。
ありがとうございます。励みになります😌
これからも引き続き、私の人生を
書き記していきます。


小学生、中学生の頃の私

大好きな祖母がうつ病で自ら命を絶ち、
それからの私はさらに
人に対して心を閉ざすようになりました。


その状態のまんま
大きな一軒家も手放すことになり
アパートに引っ越し。
小学生5年生の11月に小学校も転校しました。


 転校初日。
クラスのみんなに自己紹介の挨拶をしなきゃいけないのに、口から言葉が出ない。
自分の名前も
こんにちは。も全く言葉に出せない。
結局、何も一言も発せないまま
自分の机に座りました。
あの時のショックや自分への絶望は
いまだに覚えています。


 転校生って、最初は色んな人が話しかけにきて
色々と聞かれるんだけど
私はそれが苦手でうまく話せなくて
段々とクラスの人たちからも
喋らない子、変わった子、みたいな印象を持たれるようになりました。
もう転校してさらに友達もいなくて
楽しくない つまらない日々を過ごしていました。


そんな頃に、40度位の高熱を出し
立つこともできない、トイレ行くのもままならない、寝ててもフラフラして息苦しい。
母に、そのことを伝えた時
『寝ときなさい!』の一言。
飲み屋のママをしていた母は仕事を休めないからと、40℃超える高熱な私をおいて
仕事に行きました。


 小学生5年生とはいえ、高熱の苦しみで
とっても苦しくて不安なはずなのに
『お母さんも私のために仕事してるからしょうがない。』
『お母さんも頑張ってるから私も頑張らないと。』
『お母さんを頼ったらお母さんが大変になるからかわいそう。』と言い聞かせてました。

でもさ、これ1番かわいそうなの私よね。
きついのに甘えたい人にさえ甘えられない、
頼れない、なんなら私のせいでお母さんがかわいそうと思い込んでる私。可哀想過ぎる🥺
(あの頃の私、本当にごめんね。本当はきつかったし頼りたかったよね。)


この☝の高熱の出来事は
実は私が大人になってからの悩みやうまくいかないことの根源になっていました。


 実は高熱の時
【寂しさ】
【怖さ】
【不安】
を強く感じていたけど
小学生ながらにその☝の感情を感じないように
思考でお母さんも私のために頑張ってるんだから頑張らなきゃ。と自分に言い聞かせてたわけです。
(寂しさを感じちゃうと、いい子な自分でいられなくなると怖かったんだろうね)


大人になり自分と向き合うようになり
私の中の寂しさや恐怖を受け入れて感じれた時、
同時に母への怒りが一気に湧いてきました。

『どうして病気の私を置いて仕事に行ったの?』
『どうして仕事休んで私のそばにいてくれなかったの?』
『どうして私のこと1番に心配してくれないの?』
最終的に
『どうして私のことを愛してくれないの?』
という感じで本当の心の声が怒りと同時にでてきました。



【母は私を愛してくれない。】というあの時に強く感じた気持ちをずーっと心に閉まったまま大人になり、
それが【人は私を愛してくれない。】という思い込みにつながり
 恋愛や友人関係、そして親子関係、仕事にも
かなり影響していたことが分かったのです。
(ちなみに母とはずっと仲良しだったので
自分の本音に気付けた時は凄く戸惑いがありました。)


話はとびますが
こんな感じで思春期真っ只中にもかかわらず
反抗期も全くないほど自分の感情をないものにして、自分の感情を無視してきました。
だから感じることに鈍感になり
幸せも寂しさもどんな感情にも気付けない
ただ色のない世界を淡々と生きてました。

※反抗期は素晴らしいこと!反抗期で悩んでるお母さんたち!子供さんは人間らしく自分らしく生きてる証拠なので安心してくださいね🥰!


話は当時に戻ります。
そんな感じで変わらず喜怒哀楽もない
淡々とした日々を高校生くらいまではそんな感じで生きてきました。
(高校の時が家がとにかく 貧乏で大変だった💦
お金のブロックもこの時から強くなった。)


高校3年になって周りが就活や大学などの試験を受けてる中、私は未来が見えなくて
未来を生きたくなくて
進学するのにもお金がないから諦めて
就活もまったくせず
勤め先も何も決めないまま高校を卒業しました。
ほんと、全てにおいて諦めモードな私でした🥺


  続く♡










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