あなた自身の願いのために――『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』について
『序』の感想はこちらです。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は、「なぜ(何のために)戦うのか」という問いを示し、それに「とりあえずの」決着をつけるまでの物語だった。では、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』はどうだったかといえば、『序』で示されたのと同じ問いに対して、「もう一度」決着をつけるまでの物語だったと言えよう。『序』におけるそれは、命がけでともに戦う皆のため、という何となくお仕着せのような印象も拭えない漠然とした答えだった。それに対して『破』では、そんな曖昧な答えはもはや必要とされない。それに代わる新たな答えは端的にいえば、この映画のクライマックスで葛城ミサトが放った「あなた自身の願いのために」という台詞が担っている。
『序』で示された戦うための動機付けは、碇シンジに再びエヴァに乗って戦うことを決意させはしても、しかしなぜ他の誰かではない「自分が」戦わなければいけないのか、という疑問に対して十分に答えうるものではなかった。『序』で宙づりのまま残された問いに再び向き合うことを余儀なくされた『破』では、長い長い逡巡の果てにシンジが一つの答えにたどり着く。
「僕がどうなったっていい、世界がどうなったっていい。だけど綾波は……せめて綾波だけは、絶対助ける!」
「みんなのため」ではない、「他の誰でもない、綾波レイという一人のかけがえのない人間のため」ならば自らの命をかけても構わないし、それで世界が終わってしまってもいい。そのためになら自分は戦うことができる。そしてそれは「他の誰か」には務まらない、「自分にしか」できないことであって、そのために自分は戦うのだ。「あなた自身の願いのために」というそれは個人的な、あまりに個人的な動機付けであるかもしれないが、一方でとてもヒロイックである。シンジが自らの意思で積極的にエヴァに乗って戦うことを決意するこのクライマックスは、TVシリーズから10年以上の時を経てようやく彼が文字通りの意味で「ヒーロー」になった瞬間であり、TVシリーズの「作り直し」を念頭に置いて始まった新劇場版の一つの大きな到達点でもある。だからこそ、これを観たファンは大いに歓喜して(ミサトがそうしたように)シンジの背中を押し、この結末を支持したのだ。その決断が、最終的に何をもたらしたのかを3年後の『Q』において突きつけられるまでは。
というわけで本当はもっといろいろ話さないといけないこともあると思いますが、とりあえず『破』についてはこの辺で。今回エヴァを視聴するにあたり、本当はTVシリーズからきちんと順を追って見なければならないのではないかという予感がしていたのですが、この『破』を見るにつけ、やはりその思いは正しかったと少し後悔しています。TVシリーズから積み重ねられた「くり返しの物語」としてのエヴァを知っているのといないのとでは、この結末がもたらす爽快感は大きくちがっていただろうと思います。
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