君の生きてることに興味があるの
昨日は前野健太さんのライブを観に行ってきた。バンドで豪華編成。前野さんのサービス精神が素晴らしくて、弾き語りもたくさんして下さって、ワンマンで2時間半のステージ!ほんとうに楽しい夜だった。
前野さんといえば、甘くウェッティな声で優しくて熱いラブソングがほんとうに心に染みる。音楽を聴いてこういう気持ちになったのも久しぶりだなあと。
好きなミュージシャンはほんとうにたくさんいるけれど、自分がいつも聴いている音楽を振り返ったら、テーマはやっぱり「生き方」とか「自分の在り方」といったことを歌っている曲が多いなあと思って
ドライに、冷静に、客観的に自分を見つめる視点。今自分ができていないことは何か、自分は今何をなすべきなのか、強く響くメロディと詞を聴きながら、自分を律するみたいな、そんな歌も好きなんだけれど
でも理屈じゃなく、恋をして思うこと、誰かを愛して思うこと、大事な人と一緒にいて思うこと、それ以上に重要なことってあったっけ?って思う気持ちが、
まだ自分の中にあってよかったなあと思った夜だった。
最近、好きなライターさんが
「恋愛しないのが普通」というスタートラインで世の中を見たらいいんじゃないか
ということを書いていた。
「なんで結婚しないの?」「なんで彼氏つくらないの?」「なんで恋愛しないの?」という言葉の根底にある、「だれしもが結婚したい・彼氏欲しいと思うのが普通であり、それらができないことは残念なことであり、ましてやすすんでしないということが理解できない、強がりなんじゃないか」という考え方はもう古いんじゃないですかという趣旨であると思う。
すごくよく分かるし、自分もそう(結婚したい・恋人が欲しいと誰もが思っているのが普通という考えは古いと)思う。
先日、沼田まほかるさんの『彼女がその名を知らない鳥たち』という小説を読んだ。
ついさいきん映画にもなった有名な作品なので、知っている人も多いと思う。
~八年前に別れた黒崎を忘れられない十和子は、淋しさから十五歳上の男・陣治と暮らし始める。下品で、貧相で、地位もお金もない陣治。彼を激しく嫌悪しながらも離れられない十和子。~
この十和子という女性の最低っぷりがもう、すがすがしいほどなんだけれど、その全てを受け止める陣治という男性の愛情の深さには、私には憧れる部分があって、
かつてどうしようもなく理不尽な恋愛の渦中にいたときに、ただひたすらに相手を憎むような気持ちでいつつ、それでもそこから抜け出そうとしないのなら、どんな不条理も受け止めていたらよかったのにということを、時間が経ってからよく思っていた。そして、この小説を読んで、あ、自分がなりたかった人間像ってこの人だった、陣治だったと思った。
それは、愛し、愛され、とても幸せだという構図では永久にないのだけれど、あなたを愛することがただ幸せだったという、ただひたすらにまっすぐな気持ちには、今もすごく憧れる。
今よく聞く言葉、
恋愛はめんどう、結婚はせずに自由に暮らしたい
ものすごくよく分かるし、私もそう思っていた。
私がここ2年くらい思っていたことは、とにかく自分のペースで暮らしたいということだ。
やりたいことがある、集中したい、私が合わすことはできない
そういう気持ちになって分かったのは、
ああ、私はずっとこう思われていたんだなあということだ。笑える。
もうそんなことはどうだっていいのだけれど、やっぱり、めんどうとか自分のやりたいことに集中したいとか、ただ自分の好きなことをしたいとか邪魔されたくないとか
そうやって過ごして、毎日ストレスなく楽しく充実して穏やかに過ごすことで得られる喜びと
ぜんぜん別の種類の、一人ではつくれない喜びとか楽しさは絶対にあって
けっこう簡単に忘れるんだけど、そのことを
そういう思いを「なんで結婚しないの」という種類の言葉で伝えてくる人の意図は、今はぜんぜん否定したくないなあと思った。
公に言うことをすごく推奨したいとは思わないけれど、言いたい側の気持ちもわかる。
うんだって、素晴らしいことはたくさんあるもんなあ
そんなことを改めて考えた夜だった。
併せてこれも聴きたくなった。