感想というか連想_002(LINE Payを使っていた頃とコロナ禍と東日本大震災)
第二回の山下道ラジオでは、山下さんが「いかにLINE Payが素晴らしいか」を熱弁していた。
当時私もそう思っていた。私がLINE Payを盛んに使っていたのは2018年頃からこのラジオを聞いていた2020年頃だと思う。
既に繋がっている友人同士で、気軽に現金に準ずるものを送れるのは本当に便利だと思っていたけれど、やり取りする人は決まっていて、それ以上広がらない感もあった。
そして今LINE Payはどんな位置付けかというと
そうそうそう。そうなんですよね。だけどこれって単純にLINE Payの機能は無くなるっていうことなんですかね。LINEで繋がっているとPayPayでもアカウントが繋がれるとかそういうことなんですかね。検索してもいまいちよく分からず。
でも要はLINE Payの機能は今でもPayPayで十分っていうことなんですかね。
LINE Payの個人間送金が良かったのは、メッセージのようにお金に代わるものを送れたところ。
今でも何か友人に支払う必要があるとか、時に仕事で振込の代わりになどで、PayPayのアカウントを教え合い送金できることは便利なのだけれど、LINEのメッセージ機能の中の一部としてお金に代わるものが送れた意義とは全く意味が違う。
まさかお金が送られてくるとは思っていない時に、不意にプレゼントされるLINE Pay。明確に現金じゃないところがいい。でも、割とどこでも買い物ができてしまう。そんなふわりとしたお金のようなものを不意に送ることができるプチサプライズ感が良かったのだ。
送るよって言わなくても送れる、それもプレゼントとか物じゃなく、ほぼ現金的なものを送れる、すごいことだったのに。
アカウントを教えてもらって、こないだの代金です送りますっていうのとは全く用途が違う。
なんでもっと流行らなかったんだろうなと思うけれど、伸びる要素はあったと思うのだけれど、ただただPayPay戦略があまりに強すぎたのだなあ。
いや、そもそも自分が思うほどに、LINEで繋がってるくらいの人にちょっとチップ的な感じでお金に代わるものを贈りたいと思う人がさほどいないんだろうな。
LINEギフトもそこまで流行ってはないもんな。
なんか寂しい。
山下道ラジオ第一回目について書き忘れていたこと。お二人はコロナ禍が始まって「2011年の震災の時に似ている」としきりに言っていた。
自分にとっては、わかるようなそうでもないような。
私は2010年の8月まで東京に住んでいて、その後埼玉+東京計9年間の一人暮らしを終えて実家に帰った。
東日本大震災が起きたのはその約半年後。私はまだ就職をしておらず、実家の仕事を手伝っていた。
東京に住んでいたら、そのままの生活が続いていたら、私も帰宅困難者になっていたのかなと思う。中野に住んでいたから、中野まで歩いて帰っていたのか。家が遠くの人を泊めていたかもしれない。のちにそんな話を、当時東京で仲が良かった人としていた。
実際2011年3月11日の14:46には地元のスーパーにいて、棚から結構物が多少落ちたりしていたけれど、おお、結構大きな地震だったねみたいな雰囲気で普通に会計をして帰った。
家に帰ったらケーブルテレビは見られなくなっていて(これは雪とか地震とかでよくなる)、ラジオで情報を得ていた気がする。電気は普通に使えていた気がする。
翌日にはテレビがついて、さまざまな惨状を知るが、その後も私は外で働いてなかったことで、もしかして自分のペースみたいなものをあまり乱さなかったのかもしれない。
その後私は家の近くの会社で働き始めて、7年ほど後にはまた家の仕事を今度は本格的に始めることになる。
コロナ禍の間も自分がなんとなく世間とずれているような認識があったのは、私が外で働いていなかったからだと思う。
ほとんど人と会うこともないし、職場によってはいろいろ煩わしい制約なんかがあったと思うけれど、私には全く関係なかった。その点では精神的にかなり自由だったと思う。
一方で、通勤や仕事である程度多数の人と接しなくてはならない人より、コロナをより恐れるようになっていたのではないかという気もしている。
人とほとんど会わずに暮らすことが貫けてしまうので、極力そっちの方向に舵を切っていたと思う。
今思えば、もう少し気軽に出かけたり外食をしたり人と会ったりしても良かったのではないかと思う。いや、これは自分の性格の問題か。
会社などといった組織からは何も影響を受けなかったという点では、そういえば私にとって、2011年3月以降とコロナ禍も似ていたかもしれない。
私の日記1128
コロナから回復して月曜日からはいつも通り働いている。そして今日はもう木曜日。
昨日は暖かかったが、今日は特に午後から結構寒くなってきた。
昼間はレタスチャーハンと、夕食のカレーも一緒に作ってしまう。
以前はカレーをとても適当に作っていて(普通の市販のルーを使うカレーです)何をどんだけ入れても最終的にルーを調整すればいいし、残ったら延々と明日も食べればいいみたいに思っていたのだけれど、最近は箱の裏に書いてある作り方通りに作ると単純にとても美味しいということに気がついてそうしている。
箱の裏の作り方に忠実に作って気がついたのは、私はこれまで水の量が多すぎたということだ。忠実に作ると指定のルーの量できっかり理想の硬さになる。連動して、カレー以外の煮物なんかも水の量が多かったんだなーということがわかった。
こないだ長野のハーブ屋さんで買ってきたポプリを、古道具の塩入れに入れてみたらめちゃくちゃいい感じ。そのハーブ屋さんでは、蓋つきのガラス瓶に入れて、嗅ぎたいときに蓋をとって嗅ぐみたいな感じで展示されていたのだけれど、塩入れは穴が空いてるので蓋を取る必要がない。その分早く香りが飛んでしまうと思うのだけれど、買ったポプリがなくなったら自分でもハウスで育ててるハーブを乾燥させて入れてみようと思う。
ハーブはいくつか育てているのだけれど、専門じゃないので加工してどうこうとかあまりやったことがなかったのだ。でもこれからはもっと色々やろう。いつかハーブ中心にやっていけたらいいなあ。
サムネイル写真は、引き続き多分2018年に福岡に行った時のもの。博多港。