究極のバックアップとは
ラジコで『アーサー・ビナード午後の三枚おろし』一週間分をまとめて聞いた。バックアップにまつわるいろいろな話。
今この時代に生きて、確実に自分の考えを形として残せるツールはなんだろう。
そういえば似たような話を、年始に高校時代の文芸部の仲間と会ったときにもした。
今多くの人がデータの保存に使っているSDカード。また、USBメモリやCDRやDVDRなど、これって100年後に多分再生できないよね、と。
でも、たとえば今から100年前に撮影された紙である写真は、状態を劣化させながらも今もこの世に存在している。
今この瞬間に消えてしまう可能性は低く、コピーもいくらでもとれる劣化もしない便利なデータは、おそらく100年後いや、50年後でも見ることができないかもしれない。
実際私は、たしか18歳まではフロッピーディスクを使っていたと思うのだけれど、今すぐには再生できない。これは、ビデオテープやカセットテープ、一瞬流行ったMDもそうだ。(まだ世の中にこれらの再生機器はあるけれど。)
また、今こうしてnoteを書いていたり、過去には様々なブログサービスを利用していて、当たり前にネット上に自分の文章が保存されているけれど、突然サービスが終わってしまう可能性がないとは言えない。
だけど別に自分もコピーをとったりはしていない。どんどんデータが増えてしまう一方だし、突然使えなくなるなんてありえないという気持ちがあるのだろう。
そういえば少し前にMySpaceという音楽系SNSが、ユーザーがアップロードした過去12年分の音楽データを謝って喪失してしまったという事件があった。こんなこともあるんだなあとは思っていたほうがいい。
こう考えると、やっぱりフリーマガジンを作ってよかったなあと思う。
フロッピーに入っている昔の文章を読み返すことはもう永久にないと思うけれど、高校の頃に作った文芸部の冊子とか、片付けをしている時に出てきたら読み返したりするしなあ。昔の手帳や日記も、読み返すと自分の変遷がよくわかる。スマホで一括管理にしていたらそんな機会もないしな。
アーサー・ビナードさんの言う「究極のバックアップ」はもっと深い話だったのですが、続きはまた書きたいと思います。(たぶん。)
いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。