ユペチカ著『サトコとナダ』1~3巻
佐々木典士さんのこのツイートを見て、読んでみました。
サウジアラビア出身のナダと、日本出身のサトコが、アメリカでルームシェアをしながら大学に通うという話なのですが、自分のイスラム教徒に対する偏った見方がたくさん打ち砕かれました!
ムスリム(イスラム教徒)の女性はムスリマと言うのですが、最近は東京に行くと、ヒジャブ(ムスリマの最も一般的なかぶりもの)を巻いている女性ってよく見かけるようになりましたね。
色もデザインも巻き方もいろいろあるということで、ちょっと検索してみたらこんな記事もありました。
えっ!みんなすっごくオシャレ!!
女性の地位が、以前ほど保守的ではなくなってきたという社会的背景があるそう。もちろんこれを良く思わない人もいるそうだけれど。
時代とともに常識がだんだん変わってくるのは、当たり前ですがどこの国も一緒ですね。
ヒジャブ以上にもっと保守的な衣装がニカブ(目の部分だけ出ているもので、サウジアラビアのスタンダード)とブルカ(目の部分も網になっている、アフガニスタンのスタンダード)などもあって、やっと区別ができました。なるほど!
その他にも、初めて知ったことなどを、少しピックアップしてみます。
・毎年30日間の断食(ラマダーン)は、日の出ている間飲食禁止だけど、夜は食べてもOKだから、夜たくさん食べてしまって太るという人も。笑
・コーランで元々言われていることは「砂漠でか弱い女性を守ろう」という感じ。肌を見せなきゃ男に狙われなくて安心、運転させなきゃ事故が起きないから安心など。
・未婚の男女の同席は絶対ダメ
・イスラム教徒はアルコールを口にしてはいけないので使えない調味料もいろいろある。和食だとお酢、醤油、みりんなど(製造過程で使われたり、保存料として入っているのもダメ)。だからハラールマーク付きを選ぶ。どうしても手に入らない時は例外的にOK!(いいんだ。。。)
ハラールとは、イスラム法で食べることが許されている食材なのですが、ちょっと検索してみると結構複雑。
お酒と豚肉がダメってことは知っていたけれど、他の肉もどうやって「と殺」されたかにもよるとか、、、。うーむ。
難しいからこその、安心のハラールマークなんですね。
ちきりんさんも、これから日本においても、ハラールに特化したレストランとか食品とかが必要とされてくるはずだから力を入れたほうがいいということを、どこかで書いていたなあと思い出しました。
・1日に5回するお祈りは、人によって意味も内容も違うけれど、義務感からではなく、すがすがしい気持ちになれるようなもの。
そして、自分が一番誤解していたなあと思ったのはこれ。
・一夫多妻制は、妻は4人までで、全員を平等に扱うことが絶対条件。
これは昔、戦争で夫を亡くした女性を助けるために始まった制度で、男性の欲による一夫多妻制は認められないし、大変だった家事を妻たちで分担できるというメリットも。
妻の子どもにいたるまで、平等に面倒をみなければいけないので、お金がないとできないわけですね。まあ、例外もたくさんあるとは思うけれど、実は厳しい制度。
なんだかすごく考えるところがありますね。
こんな記事もありました。
そう、イスラム教では男性は結婚において、かなり責任を伴うんですね。(諸説あると思います。私ももっと勉強したいと思います。)
イスラム教って、人の弱さや欲を素直に認めた上での縛りが、人のより良い生き方をつくるという考え方なのかなあというイメージになりました。
日本では一夫一婦制だけれど、そこからはみ出た不倫という部分に見える消化できない気持ちって、ほんとうにどうしようもないですよね。
あと、女性が虐げられているようなイメージもありましたが、むしろ過保護なくらいに守られ、大事にされているという面もあるんだなあと思いました。(諸説あると思います。)
日本でよく登場して炎上する「痴漢されるような服装をしているから悪い」説を、逆側から言って、狙われないように肌を隠し、男性と同席させずに女性を守っているとも言えるなあと、私は思いました。
私たちから見たら不自由な気もしますが、この漫画を読んで、自由が果たしてそんなにいいものなのかという気も、してきたんですよねえ。。。
最近考えていたことと、この漫画(というかイスラム教)がすごくリンクするんですよね。
日本では、自由すぎて自由を上手く取り扱えずに困っているんじゃないかなあと思いました。
自由ってある意味、すごく難しいことなんですよね。
誰と結婚してもいいからって、結婚で悩まないわけじゃないし、どんな職業につくのも自由なのに、自由に仕事を選択して、その仕事が原因で亡くなってしまう人もいる。
一つの神や教えを信仰するという概念がベースにあると、同じ宗教の人も、そうでない人のこともむしろ尊重できるような気がします。
日本人は、宗教に対する信仰心がないことで、あらゆる判断に迷い、「こう生きたらいい」という教えを欲しているのかもしれないと、ちょっと思いました。
ビーガンとか、何かをやめるとか、そういうある種の縛りも、むしろ全てが自由に選べて迷っていた場所から自分を生きやすくするすべなのかもしれません。
全部自分で決めていくということは、すごく難しい。それを、難しいと思っていいんだ、迷ってもいいんだという気持ちにもなりました。
永久に解けない謎かもしれないけれど、日本と自由と宗教について、もっと知りたいと思うようになりました。