断捨離の親子の価値観の衝突
今日、私は母とガチで言葉のバトルをした。
原因は母が、彼女のコレクションと称する、食器用洗剤や、キッチン用品の数々(食器用のスポンジ、ラップ、アルミホイル、ジップロックなど)、食器類、タオル、洗濯用洗剤や、柔軟剤、シャンプー、リンス、コンディショナー、ボディーソープ、メイク落としや、歯ブラシ達などの数が多すぎ、既に死蔵品と化している。
母の中では、それらは捨てるか、人にあげるか、寄付をするという選択肢はなく、いつか使うからという理由だけで全部とってある。
しかも、みな未開封品で、今の母のペースだと、一体いつ彼女は使うのだろうか? と思ってしまう私。
5年後? 10年後? もしかしたら、それらの出番は永遠にこないままかもしれない。
未開封品でも、モノは経年劣化をする。
今日、私がある場所を断捨離をしていると、意外なところから、母の未開封の食器用洗剤、未開封のキッチン用品達、洗濯用洗剤に柔軟剤、そして未開封のシャンプーやコンディショナーが出るわ出るわ。
近頃の母は、あまりメイクもしないので不要だと思われるが、これまた未開封のメイク落としが何本も出て来た。
ただでさえ、母がなんだかんだと言いつつ持っている、上記のストック達に今まで散々ウンザリをしていた私は、自分が思ってもいなかった意外なところからまた母の死蔵品である、ストック達が出て来て、更にウンザリし、ため息をついた私は、母に言ってみた。
母がいつか使うと言っているモノ達は、未開封でも置いておけば経年劣化をするので、私が誰か使ってくれる人にあげるか、寄付をするけどいいよね?
と。
母の回答は、私のコレクションだからそのまま置いといてだった。
私でも、意外だと思っていた場所から出て来た、母の死蔵品のストック達であり、恐らく母も在庫を把握をしていなく、今日意外な場所から出てきたストック基い、コレクション達の存在自体を忘れていたであろうと、私は思うが、母からしてみれば、大切なコレクション達らしい。
コレクションと言っても、そこらへんのスーパーやドラックストアなどで買える、一般庶民向けの洗剤や、シャンプーや、キッチン用品などであり、
高級ブランドのモノは一つもない。
それをまるで、私には自分のコレクションなので触るなと怒られた。
コレクションの中には、母がそれらを買った当時、在庫一掃セールで買ったであろう、値札が貼られたままのモノ達まである。
それよりも、私に自分のモノを断捨離をしろという母に、私は言った。
母がコレクションと称しているモノ達は、私と母とではとてもではないが、使い切れる量ではなく、母のコレクション達を一回完全にリセットをし、また必要になったら買いにいけばいいのではないか? と。
それに対し、母は買うのは勿体ない。 無駄なお金は使いたくはないという。
母よ。 あなたの思考は、俗に言う、貧乏な家の典型的な例なのですよと、私は母に言いたくなった。
私には、趣味であるキャラクターグッズのものをコレクションをしているが、母が言うには、母のコレクション達は、私が趣味でコレクションをしているあるキャラクターグッズと一緒だと言われ、私はキレてしまった。
元々、母のコレクションと称している品物達にウンザリをしていた私は、母に言った。
私に自分のモノを断捨離をしろと迫るなら、母のコレクションとやらを捨てるか、売るか、誰かにあげるか、寄付をし、ストックを一回完全にゼロにしない限り、私は自分のモノの断捨離の作業は中断をすると。
私の言葉に、母は逆ギレをし自分のコレクションに触るなと、私に言う。
それからは、二人共、お互いにあー言えばこー言うと言葉の応酬で、言い争いが続いた。
母よ。
あなたのコレクションとやらは、あなたが使わなくても、誰か使ってくれる人にあげればいいのではないですか?
私とあなたとの二人では、あなたのコレクション達は使い切れませんけれども。
最後には、お互いがキレたまま、その場は終わったが、人は、自分の事は棚に上げ、他人を責めたり、他人に言ったりし、また自分の痛いところを突かれれば、逆キレをしたりするが、それらは人である限り、避けて通れないのかもしれない。
もし、かなり出来た人格者がいたとすれば、その人は出来るのかもしれないが。
母が、自分のコレクション達をこれからどうするのかを見つつ、もし彼女が自分の事を棚にあげ、私の事を言い続けるのであれば、きっと平行線のままで終わると思う。
少なくとも、私は母が彼女のコレクションとやらを、彼女が自分でなんとかしようとしない限り、私の大々的な断捨離は行わないと母に言った。
日々の小さな断捨離はしないと、生活ゴミさえも溜めてしまっては元もこもないからだ。
母と言葉でバトルをしている間、価値観の違いの衝突とはこういうことであるのだと認識をしている自分がいたが、その一方で、母のコレクションの言葉には思わず内心で笑ってしまっている自分もいた。
いくら親子でも所詮は他人なので、どちらが折れるか譲るか、折衷などをしない限り、この様なバトルなどは、どこの家でも、どこの家族でも起こるのだろうな、とこれを書きながら私は思う。
これから、母のコレクション達とやらがどういう結末を辿るのかはわからないが、横目で見つつ、淡々と自分の生活をしていこうと思う。