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「月に吠える」を読んだ中二女子の感想


序文で北原白秋は萩原朔太郎の神経と感情を「剃刀」に例えていました。

北原白秋と同じように感じたというと烏滸がましいですが、この「月に吠える」の詩って、何だか薄く研ぎ澄まされた刃物みたいだな、と感じました。

美しい風景を描いていたとしてもそれだけでは終わらせてくれなくて、どこかぞっとするような文だったり、展開だったりがあります。

ぞっとする部分がない詩も含めて緊張感が感じられて、一音で変わってしまう詩の持つリズムがそうさせるのかもしれませんが、やっぱり萩原朔太郎の繊細さがそうさせているのかなと。

国語の教科書の詩しか知らなかった私が宮沢賢治「春と修羅」を読んだ時を同じくらいの衝撃でした。

詩、ハマるかもしれない。

・言葉ではっきりと言い表せない感情を、人類全員で共有できるようにしてくれた

この詩集を読んで、私はそう感じました。

私のお気に入りの詩は、


・掌上の種

・見知らぬ犬

・雲雀の巣


です。

まず「掌上の種」は、五月の穏やかな日差しみたいですよね。字と字の間から、五月の日差し、じょうろからさぁっと降り注ぐ水、土の温かみまで伝わってくるような気がします。

私のイメージでは、日光が差しこむ静かな病室で、真っ白いベッドの上から病気の青年が窓のほうに手をそっと差し伸べる感じです。


「見知らぬ犬」これはもうヨルシカファンなので(笑)

勝手な感想ですが、この詩が一番ヨルシカの「月に吠える」感が強いです。遠くから人々の笑い声が聞こえてきていて、冷たい石畳の路地を青年がフラフラと歩いてゆく。そんな情景が思い浮かびました。


最後に「雲雀の巣」ですが、これも「掌上の種」と同じように五月の日差しの中で行われているように感じました。

雲雀の卵を拾って、指の間で押し潰す。

春の暖かい、と暑い、との間くらいの気温で、心持ちソワソワしている昼下がり。

雲雀の卵を潰してしまった罪悪感と、背徳感。そこからくる満足感なんかを、作者は感じているのかなと、そう思いました。


以上、私が「月に吠える」を読んで感じたことでした。

読んで下さってありがとうございます!

文庫版↓


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