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祈りのような、呪いのような

この気持ちは、呪いになっていないだろうか。

ふと、考える。周りの言う事なんて気にせずに自分たちの為に頑張ってほしい。なんて口に出していても、本当にそう思ってるのか。
私の中の理想を押し付けていないだろうか?


人の期待と羨望を背負って、壊れてしまった人がいた。
急激に変わっていく周囲の環境と自分の現在位置に歪みが生じて、大事だったものを自ら手放した。彼は「助けて、許して」って叫んでもがいて苦しんで、苦しんで苦しんで。
もう一度大事なものに手を伸ばせるまで、10年以上も足掻き続けた。

ずっとファンからは好き勝手な事を言われていた。『応援してます、早く復活待ってます』
それは祈りのようで、呪いだったんじゃないかと思う。

結果彼は新しく集まった仲間に助けられながら、また大事なものをしっかり掴むことが出来たのだけれど。

私の祈りは、呪いになっていないだろうか。
結果を残してほしい、最高の景色を見せて欲しい、幸せになって欲しい。
彼らを祝福するふりで、自分を幸せにして欲しいだけじゃないか。理想を押し付けてるんじゃないか。理想が叶わなかったとき、被害者のように振る舞うんじゃないか。
彼らを、彼を、ずっと応援出来るんだろうか。

自分の中で正解はまだ見つかっていないけれど、たまにアルコールとかアドレナリンとか思考をすっ飛ばして、大きい声出して、今は『祈って』いたい。

全てを手に入れろ、宇都宮BREX

急に恥ずかしくなってきた。寝よ。


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