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【過去話】ぬいぐるみがどうしても欲しかったわけじゃない


前回、有料記事にて「こども時代の家庭環境」について書きました。
想定していたよりも多くの方に読んでいただけていて、とてもうれしいです!

今回は「こどもの頃のほろ苦い記憶」繋がりで、「これは全体公開しても問題なさそうだな」というエピソードを綴ってみたいと思います。

それでは本題へ。

ぬいぐるみと私と従姉妹


私は北陸出身の北陸育ちで、父方の祖父母の家も北陸の海に近いところにありました。

学校が長期休みに入ると、父に連れられて祖父母の家に1週間ほど泊まりに行くのですが、正直なところまぁまぁな田舎なので、遊びに行く場所もそう多くはなく。

車を走らせれば観光地なり娯楽施設なりはあるのですが、1週間の滞在期間でそういった場所へ連れて行ってもらえるのは1〜2日くらいのもので。
大半は家でひたすらだらけて過ごし、出掛ける時は近くにある海で遊ぶか、これまた近くのモールに暇をつぶしにいくのがお決まりでした。

モールに行っても外食したり買い物したりといった記憶はありません。
祖父母も父も「お金がない」が口癖だったので、お金を使うことはあまりさせてもらってなかったように思います。

それでも祖母は泊まりに行くと、3食きっちり食事を用意してくれたし、1週間のうち1回は出前のお寿司を頼んで歓迎してくれました。

大きな不満はない。
けど、祖父母宅でのお泊まりはお世辞にも「楽しい!」と言えるものではなく。

田舎特有の、古いけどやたらに広い家で、ボンボン時計がチクタクチクタク時を刻む音が響く居間でただただ流れていく時間は、退屈以外の何物でもありませんでした。

祖父母が一緒に遊んでくれた、みたいな記憶もなくて、本当に「宿泊しに行っているだけ」という感じ。


そんな祖父母宅で過ごすのが「楽しい!」と感じるようになったのは、歳の離れた従姉妹(イトコ)が生まれてから。

父の弟……私にとっての叔父に娘が生まれて、長期休みには娘を連れて祖父母宅へ泊まりに来るようになりました。

弟か妹が欲しいと切望していた私にとって、7歳下の従姉妹の存在はとてもかわいく嬉しいものでした。

退屈だった祖父母宅で過ごす時間も、従姉妹の存在があるだけで楽しくて。

お姉さん気分で世話を焼いたり、一緒に遊んだりしていました。

従姉妹が3〜4歳くらいになった頃。
お決まりの「モールへ暇つぶし」に行きました。

祖母・父・叔父・従姉妹・私・兄

……というメンバーで行って、モール内のちょっと寂れたゲームセンターで遊ぶことに。

珍しく祖母が「ここで遊ぶのに使いなさい」と兄と私に千円をくれたので、ワクワクしながら普段なかなかやることのないクレーンゲームをやってみました。

ゲームセンターで遊ばせてもらうとか、モールに出かけたついでにちょっとしたものを買ってもらうとか、そういうことがほとんど全くと言っていいほどない家庭だったので、「ゲームセンターでお金を使って遊ぶ」という行為自体がちょっと非日常で。
千円をもらって自分で自由に使えるもいうのにも気分が高揚しました。


ただそう簡単に景品が取れるはずもなく、台を替えたりしながらとうとう最後の100円になった時。

クレーンがぬいぐるみをしっかり掴んだまま、景品取り出し口まで移動し、ボトンと取り出し口へぬいぐるみを落としました。

そのぬいぐるみは、ネコがピンクのクッションの上にうつぶせに眠っているものでした。

クレーンゲームで自分で獲ったぬいぐるみ。
ほくほくした気持ちでそれを持っていると、従姉妹が私の持つぬいぐるみを指して「ほしい〜!」と言いました。

叔父はそのぬいぐるみのあるクレーンゲームに100円を投入しました。
従姉妹はまだ3〜4歳なので、自分でクレーンゲームをやって楽しむということはなく、ただただ叔父が「娘がほしいと言ったクレーンゲームに挑む時間」が始まりました。

しかし、なかなか獲れないぬいぐるみ。
100円が次々クレーンゲームに吸い込まれていきます。

祖父母も父も私も(兄はいなかったかな?)みんな揃って動向を見守る中で、だんだんと諦めムードが漂ってきます。

その雰囲気を察した従姉妹がグズり始めました。

「やだやだ、ほしいの〜!これがいい〜!」

いつになくグズつく従姉妹。
おそらく、私はその景品のぬいぐるみを持っているのが見えている状況というのが、余計に「ぬいぐるみを欲しい気持ち」にさせたんだと思います。
目の前にぬいぐるみを持っている人がいなかったら、泣いてまで欲しがらなかったかもしれません。

涙を流して駄々をこねる従姉妹。
困り顔で財布をのぞく叔父。

私が持っているこれを従姉妹にあげたら、丸くおさまるだろうな…

迷う気持ちの中で「譲ってあげようかな」という気持ちに傾いてきたちょうどその時。


「ひかげちゃん、それ◯◯ちゃんにあげなさいよ。
あなた大きいんだから、ぬいぐるみなんていらないでしょうに」


祖母が私に向かって言いました。

「譲ってあげようかな」という気持ちがサーッと失せていき、悲しいような悔しいような気持ちになったけれど、唇をキュッと結んでその感情を声に出すことを抑えたような気がします。

結局、泣いて駄々をこねる従姉妹を叔父が抱っこでその場から連れ出し、ゲームセンターを後にすることになりました。
従姉妹はぬいぐるみを手に入れられず、私は自分が獲ったそのぬいぐるみを持って帰りました。

あの時の私は、従姉妹に譲ってあげるのが嫌だったわけじゃなかった。

むしろ、迷いつつも「譲ってあげようかな」と思っていた。

ただ、祖母が「あげなさいよ」と言ったことにチクリと傷ついた私は、平たく言うとその瞬間から拗ねてしまったんですよね。

ただのぬいぐるみでも、その時の私にとっては「クレーンゲームで自分で獲ったぬいぐるみ」で、それだけで普通のぬいぐるみよりも付加価値があって。

大人から見てどんなに大したものでなくても、その気持ちをないがしろにされるのは悲しかった。

「あなたはそれいらないでしょ」と、私の気持ちを聞こうともせず否定しないでほしかった。

「あげなさいよ」と声をかけてもだんまりの私を見て、きっと祖母は「そんなにあげたくないなんて、小さい子じゃあるまいし」と思ったんだろうなと思うと、余計にやるせなくて。

あげたくなくて拗ねたんじゃない。
自分をぞんざいに扱われたような気持ちになって傷付いてる私に、祖母はきっと気付いてないんだろうということに、また更に傷付いて、拗ねていた。


だけど祖母からすれば、小さな子がぬいぐるみを欲しがるのは理解しやすくても、10歳頃の歳の子がぬいぐるみを譲らないことは理解し難かったんだと思います。

私の傷付いた気持ちを無視したわけじゃなく、傷付いてることに気付いていなかったのだと。


……このエピソードは、私の子ども時代の「ほんのり苦い思い出」として、私の中にずっと残っています。

傷として残っているわけではなく、今や「教訓」みたいなものとして記憶に刻まれている感じ。

これを思い出すと、子どもって大人が思う以上に、大人の些細な言動に傷付いたり落胆していたりするんだなぁって思うんです。

自分が親になって子どもと接する時、そういうことをいつも意識して接しられているかというと、正直全然で。

子どもが泣いたり怒ったりすることに対して「そんなことくらいで……」って思うようなことって、実際しょっちゅうあります。

でも小さいからとか大きいからとかそういう、何かと比べてものさしではかるように決めつけるんじゃなくて、その子の自身の「気持ち」を大切にしたいなぁ、なんて思います。

その考えを念頭に置くために一役買っているのがこのエピソードなので、きっと不要な思い出ではない……はず(笑)

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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ひかげ
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