ヒカ。
今日のメモ ・寝る前、音楽を聴かないと寝れない身体になりました。 ・実家に帰り、鼻水が止まらなくなりました。(何かのアレルギー) ・楽しみにしていたイベントが台風により中止になりました。
最高があった次の日は最悪が待っているものだと思う。昔からそういう思考です。
2024年2月18日 ついにこの日が来た、、 私は、ドームに行くためのバスに乗った🚍 始まってもいないのに、終わってほしくない感覚をなんと言うのだろうか。 出演者でもないのにドキドキしている。 内容は発表されていないし、 21時まで何をするんだろう。 ずっとソワソワしている。 ドームに行くまでのバス 会場に行くまでのご飯 会場に着いた時の写真撮影 席についてライブが始まるまでの待つ時間 そして、17時半からのイベント 帰りのバス この一連の繋がり、その一瞬一瞬が 終
ラーメンの麺を啜って食べることは、いつ常識になったんだろう。
今日は、可もなく不可もなく。 なんとか、自分の恥じらいを人に注意されなくてよかったと思った。これは良かったのかわからない。もしかしたら、注意された方が良かったかもしれない。 私は、人から嫌われたくなさすぎる。 八方美人なんだ。 全ては手に入らない。何か捨てることも強さじゃないか。そう思うのに、捨てることができない。 やりたいこと全てをやりたいとおもってしまう。 能力がひくいから、すぐ手一杯になるくせに。 いつも自分で自分の首を絞めている。 そんな自分が嫌いだけど、それが自
大学の友達と韓国旅行に行く話になった。 時期は2月を見越していた。 高校の友達に、大学の友達と韓国に行くんだと伝えた。ただ、実際に行くかはわからない。日程をきちんと立てないタイプの集まりだから、行かなくなるかもと話していた。 高校の子は、じゃあ、もし大学の子と行くのがなくなったら、一緒に行こうよ。ちょうど行きたいって思ってたんだよね、と言っていた。 高校の友達は、韓国に何度も行ったことがあり、自分が沢山調べなくても、安い料金のプランを知っていて、自分にとってはお得だった
結構楽しみにしていた、宅飲みが、ドタキャンされた。 その人は、私の以前好きだった人だった。今は友達として、2日に1度のペースで連絡をする仲だった。 久しぶりに、直接話をできることを、私は、とても楽しみにしていた。家の掃除もしたし、家での過ごす時間が快適になるために、fire TV stickを何度もカートに入れたり、解除したり、ずっと買うかどうかを悩んでいた。(結局、推しのライブに行くお金が足りなかったので買わなかった) 集合時間は、お互いのバイトが終わってから。私たち
今日は、8月13日 迎え盆の日 久しぶりに家族がそろった 東京にいる大学生の弟が帰ってきた。会うのは半年ぶり? 元気そうだった。 久しぶりに家族みんなでご飯を食べた 家族写真を撮った。 普段なら写真を嫌がる弟は、嫌な顔せず、写真を撮ってくれた。 久しぶりに会ったせいか。 抗うことがめんどうくさかったのか。 それは、わからないが、 とても貴重な一日だった。 弟を見ていると、父の仕草や考え方をすごく継承しているなあと感じる。 ここで、突拍子もないのだが、私は、父と過
試験まで残り3日。 私の体と心は、ずっと重いまま。 やろうと思っていることは終わらないし、 行動に移すのがしんどいし、くるしい。 できない自分を受け止められず。 自分を批判する毎日。 辛いが、今日も夜は眠くなって寝てしまう。 不満や苦しさ、辛さを抱え込みながら、今日も寝る。 寝ることは、苦しい自分を緩和させる、防御方法なのかもしれない。 今日も、私の苦しさは消化されないまま、今日を終える。
誰かに、踏みつけられたタンポポ。 今日は、そんな感じだ。 どんどん、水や栄養を蓄えることが難しくて、より長くお日様にあたっていることが難しくなってしまった。いや、お日様にあたるための、力を出すことができなかった。水や栄養がないがために。 踏みつけられたタンポポは、どうやって生きていくのだろう。 もう、生き続けることはできないのだろうか。ふと、そう感じた。 調べてみたら、横に茎をのばしていくと知った。縦に伸ばしていくと、茎が折れてしまうからだという。 私だったら、横に茎
間違えた時。ミスをした時。どうすることがいいんだろう?自分の中でどうそのミスを捉えればいいんだろう?
何かをやろうとする時。 それをやりたい自分と、やりたくない自分がいる。 今日は援農に行ってきた。 数日前、援農をやりたいけど、朝はゆっくり寝ていたい。でも、やってみたら、きっと楽しそう。うーん。でも寝てたいなー。ゆっくりする1日があってもいいだろうなー。ってぐらぐらぐらぐらしていた。 でも、きっと楽しそうその感覚は間違ってなかったんだろうなーと。今日、援農に参加してみて思った。 きっと楽しそうっていう感覚は、どんなものにたいしても湧き出てくるわけではないと思う。(なぜ
感情を他人に出してしまうことを辞めたい。 感情を外に出すことで、辛かったこと、苦しかったことを軽減したかったのだと思う。 でもこれって、私が他人に嫌う行動だった。小学校の頃、父がストレスを私に伝えてくることがとにかく嫌だった。なぜストレスを私にぶつけるのだろうか?その時は疑問に思った。 だけど今はわかる。 誰かにぶつけることで、ストレスを軽減したかったのだと思う。たぶん。 他人の嫌な行動を自分がしていたか〜 ちょっぴり嫌だな〜 感情を露わにすることで、 恥ずかしい想い
心がキリキリと擦り切れそう。 苦しいと叫んでいる でもこの痛みを忘れては行けないと思う 私が自分と向き合えていないことから生じるこの痛みを。
好きだと思った曲のタイトルが出てこない。 なんだっけ。YouTubeの検索履歴を漁ったけど出てこない。 なんとか、関連事項を思い出して、曲を見つけた。 朝は空が青くて、山が白い。 山にはまだ、おとといの雪が残っているのだろう。 私は、自転車に乗りながら、景色をカメラにおさめようとする。 カメラでは、目の前の景色の言い表せない風の涼しさや太陽の暖かさが映らない。 お昼は、授業にでて、ご飯を食べに行った。 かっぱ寿司は、100円のものしか食べない癖が未だに残っている。100円
なぜ、分からないのか。 なぜ、できないことをできるようになるまで試行錯誤しないのか。 本当に訳がわからない。 彼女を見ていて、イライラする。 私が自分の価値観を押し付けていることがいけないのかもしれない。ただ本当に理解ができない。 むかつく。 なぜ他人のことにこんなにもイライラしなければならないのか。本当に、鉛を食べたかのように心は広く汚い。 私がダイエットをなかなかできないことと同じように、目の前の勉強に対して努力することができないのかもしれない。 だけど、