【note創作大賞2024 オールカテゴリ部門】ラストメイク 短編小説7,182文字
同僚の三原 利彦が亡くなったと同じ部署の同僚である山沢から電話で知らせを受けて俺は自宅のデスクの上でメモを取る仕草をした。
仲間の突然の死。
昨日社内でみかけないとは思ってた。
心音が高鳴り、血液が冷めていくのが肌でわかる。
それでもどこか昨日帰るときに総務課が騒がしかったのはこのせいか、と。さめたそんな自分がいることが心底嫌になった。
山沢に知らせてくれた礼をいいスマートフォンを切ると少しだけそれを持つ右手が震えていることに気がつく。
ひじから下、包み込む
ー外来種、大多数の人々が使っている機種、仕事柄2台持ちしており、そのうちの一台で割と新しくスペックも高いー
のスマートフォンごとがくがくと左右にゆれていた。
スマートフォンがねばついているのを感じ、やがてそれはじぶんの手汗だということに気がつく。
死因は大動脈解離。
やつは最後の最期、苦しんで亡くなったことが窺い知れる。
こういうとき、とるものもとりあえず駆けつけようと思いクローゼットにしまい込んだ自宅の中で数珠と帛紗を探した。
やはり、クローゼットの引き戸を開ける自分自身の右手が少しだけ寒さのせいではなく震えているのを感じながら。
「真中!珍しく遅かったな」
「すまない山沢遅くなったなこの場所で合ってたんだな」
「この服装でいいと思うか」
「俺も真っ黒以外ならいいと思ってこの格好で来たんだけどよぉ」
「土産物はふわふわ堂のバウムクーヘンでいいかな 三原の奥さん好きだったろう 確か」
「それにしよう 今日はそれぐらいしか………」
「まだ信じられないな」
「ああ」
所謂アラフィフ世代という山沢と俺は都内のターミナル駅の駅前で待ち合わせた。
山沢 隆は紺色のピーコートに同色系のチェックのシャツにグレーのチノパンに革靴姿だった。
山沢はベビーフェイスで同年代より若く見られるが、たまに毒舌をいう。が、それは表向きでとてもいいやつなので友人が多い。
彼は独身なので女子社員からお声がかかることも。
まあそういった類のものは年齢問わずおれもあるにはあるのだが。
おれたち三人は三原が結婚するまではいわゆる独身貴族御三家というカテゴリの生き物だった。
土曜日なので駅前はそれなりにたくさんの人々で周辺は賑わっているようだ。
俺たちは三人とも丸の内のオフィスで役職をしている。
国内系の伝統を重んじるオフィスで、通信を主に扱っている。
俺たちと同僚の三原
三原 利彦は昨年の春、別の部署へ出向を命じられ重い責任のポジションを任された。
大抜擢というやつだ。
そして、このターミナル駅の近くのタワーマンションに引っ越してきたばかりだった。
奥さんにお子さん二人。仕事では重要なポジションを任され。自宅は新築のタワーマンション。
はたからみれば全てが上手くいっているように見えた。
ただ、知らず知らずのうちに三原には重圧もあったのだろう。
ストレスというやつは侮れない。
俺と山沢は良くも悪くも自由の身なのでそういった重圧はわかってあげられなかったと話しながら例の和菓子屋に立ち寄ってから三原のマンションの前に二人で到着した。
なんだかいかにもモデルルームのチラシに載っていそうな風貌の巨大なマンションだ。とにかく縦にも横にもでかい。
俺らのマンションもそこそこ都心部の良いものだが、格式と規模が違ってくる。
マンションはオートロック式になっており、番号を指定してコールボタンを押すと三原の奥さんが応対する。
向こうのドアホンにはカメラ越しに俺たちの姿が映っているはずなので一礼をした。
「こんにちは。この度はお悔やみ申し上げます ご挨拶に伺いました」
「まあ 真中さんに山沢さん 早速きてくださったのですね どうぞお入りください」
電子音とともにガラスの二重扉が開く電子音がし、
俺と山沢は土産物の紙袋を下げながら俯きがちにそれらを潜った。
エレベーターのボタンを押して18階のボタンを押すとすぐにエレベーターは開いた。
軽い重力を感じながら三原一家の部屋へ向かった。
エレベーターから風のふく廊下の向こう、黒地にシルバーのアラビア数字がふってある分厚いドアの前に二人で立った。
アラビア数字は草木が踊っているような感じのデザインだ。
1809。ここだ。
ドアホンのボタンを押すと同じくシルバーのドアノブがゆっくりと回りドアの隙間が開く。
中から出てきたのは憔悴したのが見て取れる三原の妻、芳恵だった。
一束にまとめた肩までの髪を俺たちに向かって下げる。
「この度はー」
俺たちは改まったお悔やみの言葉に詰まった。
芳恵が頭を上げたとき、目のクマと、泣き腫らした眼球がはっきりと見えてしまったからだ。
「わざわざ駆けつけてくださってありがとうございます
発作を起こしたのが昨日2月の18日金曜日の朝 会社を休んだ日です救急で運ばれたわ
朝からすこしだけ様子がおかしかったのだけれど とめられなかったわ
私たちも必死で 救急隊の方々に蘇生してもらったのだけれど
でもねダメだったその日のうちに亡くなった
病院で処置を受けて今リビングで眠ってます
寝顔見ていきますか」
「………はい」
「おじゃまします」
「これ、つまらないものですが」
玄関先で芳恵の好物の老舗和菓子屋のバウムクーヘンを渡すと、
わずかながら黄土色した芳恵の頬に血色が戻り、それがなぜか少しだけ俺の心を不安にさせた。
「ありがとうございます ふわふわ堂大好物なんですこんなにたくさん お茶出しますからさあどうぞ」
玄関というよりはエントランスホールという言葉がしっくりくる。
そんな場所で一枚皮の革靴を脱ぎ、洗面所を借りて手を洗わせてもらう。
シルバーとスモーキーカラーで統一された5LDKの部屋。
リビングに向かうドアを開けると俺たちより少しだけ背の低い子供が二人リビングでソファに座り俯いていた。
スウェットのような部屋着を着た男の子二人、三原の中学生の長男次男だった。
「久しぶりだね ここに引っ越してきた時に案内してもらった時以来かな」
山沢が努めて明るく声をかけると
二人も あぁ、とこちらに気がついたような表情で応対する。
昨日今日はやたらに来訪者が多かったのだろう。
長男の将也はソファから立ち上がり山沢に近づいてこちらにも身体を向けた。
次男の霧斗も少し気だるげにそれに続く。
運動部でもやっているのか長男の方は肩幅があり迫力があった。
次男はいかにも文化系といった感じだが二人とも三原によく似た顔立ちだ。学校の女の子から人気がありそうな。
二人にそこまで憔悴しきった様子はないが、当然こんな時にいつものような覇気はなく、居間の一方向を見つめていた。
「おじさんたち………きてくれてありがとう 母さんも俺たちもびっくりしてさ あっという間にこんなことになってさ
昨日の学校は忌引き 当然だよな こんな急に」
棺はリビングの窓際にひっそりと置いてあった。
おそらく葬儀の会社から提案されたプランに含まれているものであろう棺。
この8畳ほどのリビングの隅に置いても重苦しさを感じさせないシルバーグレーのやや大きな棺。
山沢が数珠を帛紗から取り出し手を合わせているとキッチンの方から声がした。
「将也、霧斗 お顔を見せてあげて」
将也が棺の顔付近の窓を開けると化粧が施された三原の顔がプラスチック製の窓越しに現れた。
霧斗がリビングの模様の入ったレースカーテンを開ける。
部屋一帯がより明るくなり三原の顔に日光がさした。
安らかに眠っている。
死んだ人間というよりはまるでそれは目を瞑っている蝋人形のようだった。
葬儀会社が最後に化粧を施してくれたのだろう。
そこに人ひとりが亡くなったという悲壮感はなかった。
棺にひっそりと納棺されている一家の大黒柱、そして社内プロジェクトの長がそこにいた。
頬の内側にワタでも詰めてあるのか、げっそりとした感じは見られない輪郭。
顔色も、色選びしたファンデーションがかかっているのかとても綺麗なマット感のある肌艶をしていた。
髪の毛も人毛とは思えないほど丁寧に作り込まれたセットがしてある。
そして最後の装いは髪の毛に良くあった準礼装のような紺色のスーツ。
やはり、なかなかの男前である。
俺も帛紗から数珠を取り出し、三原が安らかに眠れるように祈りを捧げたが現実感がまだほとんどない。
その場では、芳恵が淹れてくれたお茶と二人が出したお土産のバウムクーヘンの一部が出され。
小一時間しないうちに二人は気を遣ってお礼を言いマンションを捌けた。
「思ったよりは落ち着いていたなちょっとやつれていたけど」
「あぁ昨夜あんまり寝れなかったんだろうな こんな一大事があったんだ顔色も悪かったし」
俺たちはもと来た駅前のロータリーに近づいた。
夕方になったので学生や若いサラリーマン達が駅付近で騒いでいる集団もいた。
そろそろ家路へと急ぐ人々が騒がしい時間帯がはじまるころだ。
「なぁ山沢、べつに思い詰めている様子はなかったけど、ちょっとなんか………何というか………芳恵さん雰囲気がなぁ………」
「わかるよ、言いたいことは!しかし将也や霧斗がついてるし………それに葬儀会社が適度に忙しくしてくれるから最悪のことは起こらないと思う
俺たちの方でも芳恵さんに邪魔にならない程度に返信不要でメッセージを寄越しておこう」
「そうだな 手伝えることがあるかもしれないし………」
山沢からの心強い提案におれは強くうなづく。
そしてその日は頼り甲斐のある山沢と改札で別れて故人との対面は終わったのであった。
2日後に関係各位を迎えた通夜が終わり、その翌日告別式の朝を迎える。
俺と山沢はタクシーで昨日と同じ川沿いのやや大規模な斎場まで昨日と同じ喪服を着て向かった。
エントランスには昨日見かけた将也や霧斗にはじまる親族や通信会社の関係者代表者が集まっている。
通夜と違って早い時間帯に式が行われるせいか、参列者が昨日よりはやはり少ない。
昨日の通夜はたくさんの参列者が並び、みな涙し、芳恵も少しだけ泣いていた。
僧侶がのびやかな声でお経を読み上げ、厳粛に式は進んでいった。
食事会では和やかに故人の思い出が語られた。
俺も山沢も、久しぶりに会った旧友に巡り合ったこともあり、話が弾んだ。
斎場にある白いタイルが生える食堂のようなホールスペースでは、様々だった。
みな思い思いにビールを酌み交わすもの。
通夜振る舞いをつつきながら故人の思い出を語り合うもの。
そんな棺の横に寝ずの番の蝋燭が灯された通夜の夜は式が終わると賑やかなひとときだった。
ふと、回想から我に帰り山沢の方を見るとなんだか少しだけ元気がない。
二日酔いでもしたのだろうか。
俺も今日という日は同僚の旅立ちの日なので当然元気いっぱいな訳ではないが、なんだか少し心配になった。
会場控室の方から芳恵が黒無地の染め抜き、五つ紋姿でセレモニーホールに現れた。
帯も黒く、帯締めも真っ黒で統一してある。
昨日と同じ喪服だ。
洋式の喪服と一緒で中のインナー、シャツが変わるのと同様、襦袢など細かいところが昨日と変わっているのだろう。
様々な人たちが集まり、葬儀は始まった。
そして荘厳な式は滞りなく終わった。個人を気持ちよく送り出すためか、あまり泣いている参列者はいなかった。
遺影のほうを俺は見た。
俺たちの会社の入社式の写真がそこに選ばれていた。
顔色がよく見えるように加工され、フレームに収まるように大きくひきのばされていた。
約三十年ほど前の写真なのでとにかく若いなぁという印象だった。
なおさら目の前の死という現実にマッチしない写真だった。
本人としては公開されて不本意な写真だろう。
出棺を前に、棺の中に思い出の品を入れる時間がやってきた。
スーツと白い手袋姿のスタッフが、一度棺を開ける。
さまざまな人たちが思い入れのある品々を三原の洋装の体躯の横のスペースに入れていった。
故人が向こうで退屈しないよう、愛読書だった文庫本をいれるもの、故人の好物のタバコ、などなど、内容はさまざまだ。
三原一家の三人は、感謝を綴ったものであろうか三人とも手紙を棺にいれていた。
俺は持参していた紙パックの日本酒を棺に入れた。
入社したての頃、よく金曜日の夜、山沢の家ー狭くてお世辞にもきれいとは言えないアパートだったーで三人でこれを飲んだものだった。
そこでは上司の愚痴や不満もたまにしゃべったが、未来への希望を語った。
今思うと、三人とも怖いもの知らずだった。
それがいつしか給料や立場が上がり、三原には家庭ができ、住む場所もそれぞれに格上げされていった。
それが嬉しくもあり、プレッシャーでもあった。
亡くなる前に、三原の相談にもっと乗っていれば病気は防げたのだろうか。
そんなことがあの一報から頭を何度も過っては巡り、去っていた。
そして、それは三原がまもなく去ろうとしている今も。
「え、ちょっと、そこの方、大丈夫ですか」
急に見知らぬ年配の参列者に声をかけられたので何事かと意識を戻すと、
自分の真っ黒な布に包まれた右腕がそれ全体震えてることに気が付いた。
ーくそっ、まただー
慌てて左手で押さえつけるが、ガクガクとした震えは止まらない。
近くの居合わせたそのほかの参列者も心配そうに見守る。
間もなく棺は火葬場へ移動のためとじられるだろう。
ーお前勝手に死ぬなよ なぁー
左目から一粒の涙が流れて三原の棺の中に落ちた。
そして式場の係員によって棺はそっと閉じられた。
真っ黒なスーツに手袋姿の係員はこう参列者に呼びかけた。
よく見ると小型無線機を胸元につけている。
「ここから火葬場まで運ぶのは人力です。特にお若い男性のご協力をお願いします」
うちの会社の若手の男性社員たちが喪服の袖をまくる。
山沢も棺に近づいていった。参加するようだった。相変わらず今日はなぜか調子が悪そうだ。
「あなたはやめておきなさい」
先ほどの年配の参列者ー三原との関係は不明で、上品な杖をついているーに念を押され、俺は戸惑いながらも深くお礼を言った。
シルバーグレーの分厚い布のような素材で出来た棺を、総勢9名ほどで持ち上げることになった。
式をしていた台座から、スライドさせて一度半分だけ棺をはみ出させる。
はみ出た棺を男性9人がかりで背負う。
火葬場までは入口を出て15メートルほどだった。
誘導する僧侶を先頭にし、棺をそのあとが続き、黒い服を着た参列者がそのあとをゆっくりと歩く。
お線香の香りが告別室から香ってきたころ、棺が少し揺れ、下の支えている人間が倒れたように見えた。周りの参列者から小さく悲鳴があがる。
山沢だ。
俺はまだ震える右手を抑えながら山沢に駆け寄った。
当然棺は止まり、周りは騒然としている。
膝から崩れ落ち、うつむく山沢に俺は言い知れぬショックを受けた。
「おい、いつものお前はどうしたんだ!しっかりしろ、な」
「わ、悪い、急に力が入らなくなって………」
結局他の若い社員の男性に棺を運ぶ役を交代してもらうことになった山沢だったが、
数分で歩くことはできるようになったようだった。
「可哀想に。よほどショックだったのね………」
そんな声が参列者の間からぼそぼそと聞こえてきて、俺は手の震えがなんだか落ち着いていくのを感じていた。
無事に告別室に到着した棺は、最後の供養をする為の台座に乗せられた。
僧侶がお経を読むので参列者はお焼香をする。
一通り儀式がすんだあと、棺は火葬するための台座に乗せられた。
台座には、火葬台への金属製のレールがついている。
火葬台の火葬炉のドアが開かれ、真っ赤な炎が見える形になった。
火葬炉の中で轟々と燃える炎はとても不気味だった。
おれは恐ろしくなって目を逸らした。
ーこれが死だー
僧侶は言った。
「これで最後のお別れになります」
スタッフが棺の顔部分の窓を開いて、親族などにお別れを促した。
すると今まで式に従っていた芳恵が急に大泣きして棺にしがみつきはじめたのだ。
「あなた、わたしを置いていかないで」
慌てた係員は安全のために制止するが、芳恵も引かない。
子どもたち二人が泣きながら取り押さえる。
将也と霧斗は母の喪服を引きちぎるようにして父の棺と切り離した。
そしてあっけなく棺がレールにスライドされて火葬台に吸い込まれていった。
ガラガラと大きな車輪の音を立てて。
「あなた!行かないで」
引き剥がされてもなお扉の閉じられた火葬炉に向かって手を伸ばす芳恵。
その場にいるみんなで取り押さえ、本礼装のまま床にしゃがみ込んだ芳恵の嗚咽が告別室に響き渡る
黒い服を纏った参列者からもシクシクと悲しい泣き声が次々とあがる
そのまましばらく、芳恵はその場を立ち上がることは出来なかった。
しばらく時間が経過し、火葬の時間に、遺影と一緒に精進落としを食べる。みんな泣きながら食べている。
遺影の前にも御斎料理が故人の分用意されている。
台車式の火葬が終わったことを係員が知らせに来たので全員で食事室のホールを後にする。
納骨の儀式が終わると
「こんなに小さくなってしまうなんてねぇ」
と芳恵がボソリと遺骨に向かって溢した。
とても、とても愛おしむように、そして切なそうに。
俺たちはバリッとしたスーツを着た式場のスタッフの力を借りながら芳恵を何とか宥めながら自動ドアを通り。葬祭場のタクシー乗り場まで送った。
乗り場には何台か色の違うタクシーが停まっている。
マンションまで送ろうかと何度か申し出たが、芳恵はありがたいけど、と気持ちだけ受け取った。
三原の初七日の法要の約束をしたあと、俺たちは式場の入口で解散ということにした。
将也、霧斗はそれぞれお骨と位牌、遺影を抱えて苦笑いをしていた。
一家がぺこりとあたまを下げながら停車していたタクシーに乗り込む。
個人タクシーが、三原家の三人を乗せて、一直線の道路をどこまでも真っすぐに進んでいくのを黒いネクタイをした俺と山沢はただぼうっと見つめていた。
ーいつまでも、二月の日差しに照らされ二人で立ち尽くしていたー
end
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