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短編小説 コールミー 2379文字

「今日も結果は陰性です。お引き取りください」

「なんだって。今日も結果なしかい。ヤブ医者め」

美山は週に一度の血液検査の結果を目の前の老齢の女性に告げると、パソコン画面に向き直った。

通算何百何千敗しても亡き夫の財産や年金を担ぎ込んで当院へやって来る景山千鶴子は歯ぎしりしそうな程口惜しそうだと美山は思った。

千鶴子は八十を過ぎているが、ピンクハウスの洋服や小物を全身に纏っている。

最初のうちこそは受付と事務を兼任している中里友佳も保険証と診察券を確認する度可愛らしいだの、
私もああいうお年寄りになりたいだのはしゃいでいたが。

どこか身体に異常はないか血液検査をしてくれという要求から始まり、
月に一回のCT検査、レントゲン、脳波、MRIなどを本日まで続ける事になってしまったのだ。

流石に辟易してしまったのは言うまでもあるまい。

毎日の問診、触診、検温だけに千鶴子はフルメイクをしてくる。

-自分は約50年後、果たしてここまでのエネルギーを持っているだろうか?-

美山は眉間にシワを寄せ、怒り狂う千鶴子の様子を横目で見る。

『私は諦めないよ、勝負しなさいよ美山』

『正々堂々と勝負しなさいよっ』

屈強なナースマン狭山に抱えられ、強制退場となった千鶴子は断末魔をあげる。
ピンクハウスのスカートがまくれ上がり、生地の厚いフリルが舞ったペチコートが見えている。

「見てなさいよぉぉぉぉみぃやまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

小さな診療所の診療長の美山は、カルテを片付けて棚に戻した。

大きく伸びをする。午前の診察は終わりだ。

診察室の引き戸を開け廊下を通り、待合室と受付が面した部屋に辿り着いた。
この診療所は、オレンジ色を基調としたデザインになっていて比較的新しい。

中里友佳が計算を終えたばかりだった。
電卓を肌色のジェルネイルで叩きながら端へ避ける。

「先生、今日も大変でしたねぇ」

友佳が含み笑いをしながら美山を労うと、入り口から戻って来たナースマン狭山も加わり爆笑の渦と化した。

「すげぇパワーだよなぁ」

ひとしきり三人で笑った後、ふと美山は思い出した様に言った。

「いつも思うけど何であんなに毎日化粧バッチリなんだろ?」

その言葉を受け止めると友佳が息を吸い込み上を向いた。
患者から寄付された色とりどりの千羽鶴がくるくると待合室の天井を回る。

「先生、その事について思うことが御座いまして...」

「なんだ?思うこと?」

「中里くん何か知ってるの?気になる」

友佳はソワソワし始め、美山は怪訝な表情を浮かべ、狭山はワクワクと見守る。

「黙ってようかとも思ってたんですけどねぇ」

そう前置きして友佳は手を組んで話し始めた。
西側の出窓から日差しが間接的に差し込む。製薬会社からのぬいぐるみが所狭しと並んでいる。

「先週の金曜日だったかなぁ?
その日は採血も体重測定もない日でしたよね?
でも平日最後の日だったからかな....。
待合室にいる千鶴子さんが診察室へ入って行く先生の後ろ姿を見つめている姿をたまたま見かけたんですけど。
その目がとっても真剣というか、まるで乙女だったんです。
あれはまるで初恋のまなざしでしたよ。八十の目じゃない。」

ナースマン狭山の目が色めき立つのが美山には分かった。

友佳はジェルネイルを持て余す様に指を組んで続けた。

「やけになってこの病院へ来るのだって本当は先生に構って欲しいからじゃないからですかね?
本人からは身体に異常があるからという主訴がありますが....」

「じゃああのお化粧も」

狭山が身を乗り出す。明らかに興味津々だ。

「きっと先生の為でしょう、と私は思います。先生はどう思われますか?」

「どうって言われても....」

一思いに話した友佳に振られて美山は唸ってしまった。

美山は友佳に言われるまでそんなことに全く気がつかなかったのだ。

邪険に扱えない理由がここに来て出来てしまったようで、とてもバツが悪いと感じていた。

「そんなこと言われてもスタンスを変えるつもりもないし今まで通りだ」

美山はしばらく考えた後そう吐き捨て。
くだらねぇことを言ってないでメシ行って来るから、と付け足して美山はシャネルの財布をカバンから取り出して一枚皮のプレーントゥーに履き替えた。

-数日経ったある日-

いつもの様に千鶴子はやってきた。

淡いピンクときついピンクのコントラストにたくさんのフリルをしたがえて。

目の周りには、イヴ・サンローランのカーキのシャドウが乗っている。

薔薇色の唇が何度目かわからない宣言をする。

「さぁドクター美山、勝負よ 診てちょうだい」

ーーーーー

診察を終えると、美山はふと背中に気配を感じた。

診察室を出て受付を通ってから次の患者の問診票を受け取りに行く途中だったのだが足が止まった。

白衣を翻して振り返ると、千鶴子がいた。

待合室の一番端っこのソファーにしゃんとした姿勢で座っている。

ルイヴィトンを抱えながら真っ直ぐこちらを見つめていた。

ハの字の眉の下には真っ黒な瞳が二つ燦然と輝いて今にも零れ落ちそうだった。

頬は化粧も相俟って上気しているのが解る。

吐き出される吐息の所為で部屋の空気が甘く淀んでいる気がした。

美山は目眩になんとか耐えてスリッパでフローリングを踏みしめる。

ー確かにあれは八十の目ではないなー

うすら微笑みそう呟やき、再び背を向ける。

美山は思った。

どうか、背後から図々しく俺を呼んでくれ。

いつもの様にヤブ医者と罵ってくれていい。

狭山の腕の中で大暴れしてくれていい。

何ならもっと派手な格好で来院してもいい。

…何でもいいから…だから…。

そうすればそんな宿すべき瞳見ずに済むのにと。

美山は次の患者の問診票を手に取ると診察室の引き戸を開け、また閉めてチェアーへ腰を下ろした。
そして問診表を参照しながらパソコンの画面へと向かった。






END

あとがき

こういう話はずっと書いてみたかったです✌︎('ω'✌︎ )。

美山はツンデレ。


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