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【NOTE 創作大賞2024 オールカテゴリ部門】 メヌエット2015 5,588文字

メヌエット2015

いつも笑顔の彼は無傷に見えた。少なくともわたしには。

この歳にしていままで何か壮絶な内容の過去を背負っているようにも見えなくて。
それがわたしにとって何だか彼がひどく"浅く"見えた。

しかしながらやはりこのような世の中で生きてきて無傷なわけがなかった。

彼もまた一つの"諦め”を背負っていたもののひとりだったのだった。






公園の数メートルかはあろう電子蛍光灯が電池切れを起こしながら点滅を始める。
すると市が整備したであろうこれまた数メーターはあろう縦長型のスピーカーからあたり一面に大音量でメヌエットのメロディが鳴った。

大人に対しても夕焼けチャイムがあればいいのに、と夕夏はそんなことを考え、現実から目を逸らした。
夕夏はこの間成人したばかりだったが。

ベンチに座っていた太いヒールをコンクリートから離し、残像の影を作りながら夕夏はその場を去った。

入道雲の夏空と、夏休みを楽しむ公園で遊ぶ子供たちのはしゃぎ声が辺りに響き渡っていた。


優美なメロディーにのった三拍子に合わせて、ヒールとワンピースをふわりと優雅に躍らせてみようかとおもったが、夕夏はその気力がうせていることに気が付いた。






自宅マンションに戻ると、カーテンをすべてしめて洗濯カゴに今日着ていたワンピースをほおる。

シャワーを浴びて、今日うまくいかなかったことすべてを汚れとともに洗い流す。


夕夏は、不安を払拭するように何度もなんども長い髪をかき分けてぬるま湯で頭皮を洗った。


ーなんで、あんなことを彼に言ったー



銀色の円盤型のシャワーヘッドからは、ジュエリーのようなぬるま湯が
まるで時がとまっているかのようのようなスピードで出続けていた。


裸の夕夏は排水溝に自らの穢れが吸い込まれていくのを見届けると、木綿の大判バスタオルを纏った。


そして夕夏は、一限の朝、笑顔の彼に放った失言を猛烈に後悔しはじめていた。


真っ先に諦められたのは、自分なのだとも。









「おかしくもないのに なんでわらうの 変だよ」


「えっ………」


「ゆかっ 柳原くんごめんね夕夏っていつもはこうじゃないんだけど」


「だってその………やなぎはらくん?だっけ?あなたペラいのよなんにも背負ってないくせにニコニコへらへらしちゃってさ わたしは気に入らないね」


「そっか………」



「夕夏!柳原くんに謝りなさいよ そして柳原くんもなんで夕夏の難癖をうけいれちゃっているのよ 反論でもしなよ」



私とアイビールックを着た背の高い柳原くんと私の親友の真彩の三人の小競り合いは大学の講堂で始まってしまったものだから。


ガラの悪い一軍グループに邪魔だよー痴話げんか?と茶化されて大笑いされてしまった。
まあそこに立っていた私たちがもっとも悪いのだが。



私たちは黒板がはるか前方に見える講堂、上から見ると前方後円墳のような形をした講義室に入室した。
200人以上はここで学ぶことが出来そうなキャパシティだ。

先ほどの一軍集団は席の後方に陣取り、これからの夏休みの計画について賑やかに話している。

少し離れた後方の位置に、私たちは席をとった。



「さ、夕夏、さっき柳原くんに言ったこと謝りなさいよ
 なんで急にペラいとかヘラヘラとかいうのよ
 柳原くんにはゼミの時とかに教授に便宜図ってくれたり何かとお世話になったでしょう
 この間の現代文の講義だって二コマ分私たちの代返してくれたし そのおかげで 最新作の映画試写会観に行けたんじゃない」


木製の講義室の椅子に腰掛け、テーブルに荷物を載せると。 ショートカットの囲い目メイクをしボーイッシュな服装をした傘元真綾は一気に捲し立てた。
顔が小さくスタイルがいいので逆に女性らしさが目立つ風貌だ。


対して夕夏、瀬戸中夕夏は黒い長い髪の毛をバンスクリップで大雑把にまとめ、膝丈の青いワンピースを纏っているが。木製の椅子に座り足を組んでまるで生気が感じられない目をして前方の黒板を見つめていた。



そして、少し離れた位置に座る柳原恵一のほうへ向き直ると、こんなことを言い出した。


「あのさぁ嫌ならイヤって言えばいいじゃん?
 何で引き受けちゃうかなぁと
 いいように使われているだけにしか見えないんだよね
 わたしそーゆーの嫌い だから言ったのね
 分かった?柳原くん、真綾」


「そんなのってあんまりよ………。柳原くんも何か」


「いいんだ おれは慣れてる」



「そんな」



お礼もしてないのに、と真綾は言いかけたが、黒板前の教壇に講師が立っていることに気がついた。


講堂のざわめきがだんだんと静まり返り、各々教材を広げる音が聞こえ初めた。


真綾は 本当にごめんね、と小声で柳原に謝り、
夕夏はそんな二人を無視して教材と講義に集中した。



大学の講義が一限だけでおわり、夕夏と真綾は帰りにカラオケに寄った。
郊外型のカラオケのチェーン店は持ち込み可能な店舗だったので二人は各々好きなドリンクを持ち込んで歌唱に臨んだ。
今流行りのJPOPやKPOPなどを順番に思いつくままに歌った。

真綾はモデル事務所に所属している傍ら、配信活動もしているので歌も上手い。

夕夏は張り合うでもなく、毎回マイペースでそれでも楽しく歌うことにしていた。
実際真綾とのカラオケは彼女の選曲のレパートリーも豊富で楽しい。


「お待たせしましたードリンクお二つお待ちしました」



持ち込み自由とはいえワンドリンク制という二人とも初めて利用したこのカラオケボックスの一室に入室してきた店員にどこか二人は見覚えがあった。



「柳原くんじゃん! バイトここなの」

「あははは ウケる!店員とかちょーうける」


「こら!夕夏やめなよ失礼だよ! それにしても偶然だね」


白シャツに店と同じカラフルなオレンジのカラーのエプロンを纏った柳原は気まずそうに足をクロスさせながらお盆を前で抱えてる。


「シフト制で給料が良くて賄い付きで夜勤があって給料が良くて尚且つ大学から近いところといったらここでさ。
二人ともゆっくりしていってよ」


柳原がそう言いかけたところで個室のドアの向こうから同じエプロンをつけた40代くらいの女性キャストの声がする。

「柳原くんおしぼりの業者への連絡やっといてそれから28日、シフト募集してるから入ってねそれから………」


「………はい」


真綾と一緒に夕夏は面食らった。



「ちょっと!ここでも断らないの?!明らかブラックバイトっぽい感じだけど」


夕夏が焦って個室から去ろうとしている柳原に声をかける。
たぶんおしぼりの発注をしにバックルームへ戻るのだ。


「断らないよ。おれ、諦めてるから」



「諦めてるって、何を?」


真綾が口を挟むと、バックルームから先ほどの女性キャストが小型無線機で柳原にゲキを飛ばしている様子だったので柳原は去った。じゃあごゆっくり、と言い残して。




ー諦めてるって何をだー




釈然としなくなった夕夏は、真綾と解散したのちに柳原にLINEを送った。

そして尋ねた。

なぜ人からされた嫌な頼み事を断れないのか。
そして諦めている、とは?


LINEのトーク画面に出来るだけ刺々しくないよう、そして詰問口調にならないよう心配りをしながら文章を作った。

そして通学の電車の中で、返信を待った。

通知のバイブレーションがスマートフォンごと震え、返信を夕夏に知らせる。

トーク画面には、こんな文面があった。






「おれは、ありとあらゆる人間をあきらめてるんだ。
 期待なんか全然していないよ。善意とか、モラルとかそういうのね。
 瀬戸中さんはいい人だから全然そうでもないかもしれないけど…。
 心配してくれてありがとうね」






夕夏はその文面を読んだすぐ後、何故だか気分が優れなくなった。




そして、自宅近くの公園によって自宅に帰り、シャワーを浴びた。






「ねぇ真綾。被害者ヅラして言うことでもないんだけどさ
 わたしやっぱりというか柳原くんに………。嫌われてるのかなって思うようになったんだけど」



翌日、夏休み前最後の講義のために講堂を訪れた夕夏と真綾。

夏休み前だからか、それなりに人でびっしりと講義室が埋まっている。後方の方で席を取ったが、人がそれなりにいる。



「夕夏、そんな今更だよ 今まで酷い扱いしておいてさ
 その通り、夕夏が悪いんだよ そっか わたしもかな」


「だよねえ………。真綾はそうでもないとおもうけど 十中八九、わたしが悪いよね…………」




「そりゃそうだよ あっうわさをすれば、柳原くんだ」



講堂の後方のドアのうち、右後ろのドアから柳原が入室してきた。
今日はグリーンのフレッドペリーのポロシャツに、ウオッシャブル加工のデニムパンツ姿だった。
背が高く無駄な肉がないので、シンプルなカジュアル服がとてもよくにあっていた。


真彩はそんな柳原を目にすると、彼に向かって手招きし、自分んのぶんの教材を机の上からまとめる動作にはいった。
夕夏がそれをみて怪訝な表情で見ていると、真彩は夕夏を肘で小突いた。


「さっさとあやまって、ちゃんと心込めてあやまって。
 夏休み前、これが最後のチャンスだからねっ!わかった」


そういって自分は講義室の前の方へ素早く席を移動してしまう真彩。
隣の空いた席に、状況をよくわかっていない柳原が腰かける。
真彩の後ろ姿と夕夏を見比べるようにキョロキョロしている。


夕夏はキャンパスノートにボールペンで走り書きをした。



ーこのあいだはごめん。この講義のあと、市内のぺケマル公園へいかない?ー

柳原が読み終えた横軸の紙切れに返事が返ってきた。


ーなんで謝るの? ぺケマル公園?いいね アイスでもたべようかー



夕夏は柳原に微笑みで返事を送り返すと、これもまた断れないからに他ならないからではと胸がざわつき始めた。
そして、そんな自分に戸惑った。






市内の公園は、園内にむかしながらの円形の噴水があった。夕夏のお気に入りの場所の一つだった。



水を浴びようと、こどもだちや親子連れ、カップルたちが炎天下の中集まってくる。
飛び散った水と、逆流した水蒸気や反射したアークで幻想的な風景に夕夏は見とれてしまいそうだった。

そして、夕夏の反対を押し切って柳原が買ってくれたアイスが溶け出しそうなこと、
今自分は柳原に話さなくてはならないことがあることをおもいだした。

大型の高木のしたの木陰のベンチだと、幾分涼しい。

となりに座る柳原は、おいしそうに、アイスクリームを食べていた。


「柳原くん、アイスまでおごってくれてありがとう。そして今までほんとうにごめんなさい。わたし何も知らないくせに薄っぺらいとかなんとか悪口ばっかいってしまって
都合のいいように扱ってしまって
今日の誘いも断れなくて………というか諦めてるからきたんだよね」


一気にまくしたてる夕夏をみて、目をまん丸にしたあと、残りのアイスをゆっくり食べ進める柳原。

遠くで子どもたちが水鉄砲をもってお互いに撃ちあいっこをしてはしゃいでる。
水音と、はしゃぎ声が遠くから交互にきこえた。



「瀬戸中さん。あやまらないで。瀬戸中さんは謝ったんだからもういいん    だ。それに今日おれがここにきたのは俺の意志。それはね、うそじゃないよ」


「ほんと………?ペラいっていわれてムカつかなかったの」



「ああ。正直いってそれはムカつくっていうより………は?って感じだったね
雑用を押し付けてこられるのもそんな感じ けど俺は悪くないって自分で判ってるから」




夕夏は、バイト先での彼の様子を思い出した。
淡々と仕事に励み、他人に一切期待しない様子の柳原の様子と、
今の彼の言葉が完全に一致したのだ。



そして、彼のそんな潔い一面を自分の都合のいいように利用してしまったことに、あらためて後悔の念が押し寄せてきた。




「ごめん、ほんとにごめん………ごめんね柳原くん」





夕夏が泣きそうになったのを察して、アイスを食べ終えた柳原がぺとボトルのお茶と、防腐剤とアルコールの含まれたお手拭きを差し出しながらこう提案した。





「あー瀬戸中さん、謝罪はもういいからさ、ひとつお願いがあるんだ」




「あ、ありがとう ゴクリ お願いってなに?わたしに出来ることなら」




「おれ、この大学をでたらクルマの生産ラインに就職しようとおもってて………まだ具体的には決まってないんだけど
今の接客業とは違う仕事がしたいなって、コツコツできて人とあんまり関わらないようなさ 長くなったけどそれでね」



夕夏はペットボトルのお茶を飲みながらうんうんと柳原の目を見てうなづいた。
柳原は本題に入ると照れくさいのか夕夏から少しだけ目線を逸らした。



「学生時代の………思い出が欲しいんだ、その、夏の」




かなり思い切った口調で柳原がそういうと、夕夏は表情を明るくした。




「なんだ、お安い御用だよ!あ、じゃあさあ、真綾呼んで、同じゼミ生の誰だっけ………柳原くんと同じくらい謎のイケメンな読ヶ藤くんも混ぜてさ
 河原で花火やろうよ!ね!約束」


木製のベンチからずっこけそうになっている柳原を目にして不思議な表情でいっぱいになる夕夏。

「あ、あれ?花火嫌いだった?なんか嫌な思い出とかある?なんか他の………別のにする」



「いや!花火は………。 好きだよ」



「そっか!それなら決まりね私幹事やっとくからあとは任せてね」


「ありがとう 瀬戸中さん」




柳原が夕夏に礼を言うと、公園のスピーカーから14時を知らせるメロデイが鳴り響いた。
市内は決まった時間にチャイムが流れる仕組みになっているのだ。


「柳原くん!もう前期が終わった記念に踊ろうよ!こっち」


「でも………」


「いいから!大学のひとだれもいないよ」




柳原と夕夏はメヌエットのうつくしいメロディに合わせて、社交ダンスの真似事をしながら踊った。
互いに腕を組み、胸を対にしてステップを踏み、くるくると公園の中をいつまでも、いつまでも。


夕夏は無邪気に笑い、柳原は照れくさそうに社交ダンスをチャイムが鳴り終えても踊り続けた。


子どもたちのはしゃぎ声と、水音が途絶えない夏休みが始まったばかりだった。









メヌエット2015






end

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