
鏡の中の私【ショートショート】
深夜2時。私は古びたアパートの一室で、ぼんやりと鏡を見つめていた。
引っ越してきたばかりのこの部屋には、前の住人が置いていった大きな姿見がある。アンティーク調の重厚な木枠に囲まれたその鏡は、妙に不気味で、できることなら処分したかった。だが、触れるのも怖い。仕方なく、壁際に立てかけたままにしている。
私は鏡越しに自分と目が合った。
だが、違和感を覚えた。
――笑っている?
私は無表情なのに、鏡の中の「私」は、ほんの少し口角を上げていた。
ゾクリと背筋が凍る。目をこすり、もう一度確認する。しかし、今度は普通だ。ただの疲れかもしれない。そう思って、布団に潜り込んだ。
カタ……カタカタ……
微かに、木枠が軋む音がする。
無視しようとしたが、耳を塞いでも、頭の奥に直接響くような気がする。まるで「何か」がこっちを見てほしがっているように。
意を決して目を開けた。
鏡の中の私は、ベッドに座ってこちらを見つめていた。
私は寝たままのはずなのに、鏡の中の私は起き上がり、首を傾げている。
「こっちにおいでよ」
鏡の中の「私」が、ニィと口を裂けるほどに広げ、囁いた。
次の瞬間――ガタァン!
鏡が床に倒れた。割れる音はしなかった。だが、そこに映っているのは……私ではなかった。
歪んだ顔、真っ黒な瞳、裂けた口元から覗く無数の歯。
「やっと……出られる……」
鏡の中の「何か」が、ずるりと這い出てくる。私は悲鳴を上げようとしたが、声が出ない。
気づけば、私は鏡の中にいた。
部屋の中では、私に成り代わったソレが、私の顔で微笑んでいた。
「これで、自由……」
ソレは鏡を布で覆った。
暗闇の中、私は必死に叫んだ。だが、もう誰にも聞こえない。
外の世界で、ソレが生きる限り……私は、永遠にこの中で囚われたままだ。