
辿リ着ク夜【ショートショート】
夜の帳が降りる頃、男はひとり、朽ちかけた駅に降り立った。列車は音もなく消え、周囲には誰もいない。線路は闇に溶け、遠くにかすかに光る町の明かりが見えるだけだった。
彼はポケットの中の紙片を確かめた。そこには黒インクで「**町、旧駅」とだけ書かれている。送り主の名はない。しかし、この文字に覚えはあった。どうしても来なければならなかった。
駅を出ると、風が冷たく肌を刺した。古びた標識が指し示すのは、街外れに続く一本の道。薄闇の中、彼は足を踏み出した。
***
歩き続けることどれほどか、いつしか辺りには霧が立ち込め、足元さえも危うくなっていた。やがて、木々の間からぼんやりとした明かりが漏れる。小さな家が一軒。
扉を叩くと、静寂を切り裂くように軋んだ音が響いた。
「……来たのね」
中から現れたのは、一人の女だった。長い黒髪、深い眼差し。そして、彼がよく知る面影。
「まさか……」
彼の喉が詰まり、言葉にならない。彼女は、10年前に死んだはずだった。
「ようやく辿り着いたのね」
女は微笑み、彼の手をそっと取った。その瞬間、霧が一気に晴れ、夜の静寂が消え去る。
耳元で囁く声がする。
「さあ、一緒に帰りましょう——」
彼は目を閉じた。気づけば、そこに立っていたのは彼女一人だった。
遠く、無人の駅で、一両の列車が音もなく出発していく。